たーたん 西 炯子(著)
あらすじ
冴えない主人公 上田 敦は、同級生から「15年後に出所したら迎えに来る」と預けられ、鈴という赤ちゃんを一人で育てることになる。これまで誰とも付き合ったことのない男がいきなり人の親となり、悩みもがきながらも親子の絆を深めていく。
本作のヒロインである娘の鈴は、だらしのない父(たーたん)に喝を入れつつ、家計管理に学業に全力で向き合いながら、軽やかに強かに暮らす。そんな中、徐々に近づく本当の父の出所日。オロオロするたーたんを横目に、鈴は亡くなった母の姿を追い求めて暴走していく。既刊4巻、ビッグコミックオリジナルで連載中。
子どものおかげで、生きていられる
敦は中学3年になった娘・鈴から「たーたん」と呼ばれ慕われている。しかし、彼はそもそも人とお付き合いまで至ったこともなければ、生まれたばかりの鈴を預かるまでは、まともな生活も、仕事すらもしていなかった。
鈴に出会うまでのたーたんは、まるで生きながらに死んでいるようだったのだ。けれど、出会ってから、育児のしんどさに苦しんだり、逃げそうになったり、キャパオーバーで倒れたりしながら、「鈴がいるから生きていける」と気づく。そこにひどく共感した。
親になると、当たり前のように「人間」を育てる生活がスタートしてしまう。父親・母親だからと言って、全員がもともと「子どもが大好き」ではない。そして、わたしもそうだった。
例えば、道行く子どもを見ても「可愛い」とは思えず、知り合いが赤ん坊を抱いていても「可愛いですね、ちょっと抱っこさせてください」などとは口から飛び出さなかった。なんなら「落としてしまいそうだから、抱っこはできません」と断るほどだった。照れて意地をはっているわけでもなく、人の命を預かることにただただ恐怖していた。
だから自分の産後は、せめて気分が変わるようにと、お気に入りの歌手の曲をプレイリストにまとめて、歌いながらなんとか夜泣きをやり過ごしたりしていた。ザ・スマホ育児で、褒められたものではないだろう(笑)でも、朝から「かーたん」と呼ばれ、食事を食べなければどこか悪いんじゃないかと心配し、夜寝るときには頭やみぞおちにかかと落としをくらうのはキツイ。とにかく痛いし、しんどいし、眠い。最近、ようやく映画などを楽しめる生活が戻ってきた。
ここまで来られたのは、わたしが頑張ったからではなく、一生懸命に生きる子どもらが、笑顔で「かーたん」「ママ」「ねえねえ聞いて」「抱っこして」と呼び続けてくれたからだ。自分を無条件に愛してくれる存在に救われた。
夫もそうだったのかもしれない。
立ち合い出産を終えて、「可愛い可愛い」と言いながらも、育児に関してはどこか他人事だった。可愛くてたまらないけれど、無意識下ではお世話をしないと死んでしまう存在であるとは認識していなかったのだろう。けれど、いまではすっかり「子煩悩な父」というのが彼に対する周囲のイメージで、実際にわたしよりも子どもたちとよく遊んでいる。優しく穏やかに接するし、送迎のフットワークも軽い。わたしも彼も、時間をかけて変わってきた。
子どもは、こちらが睡眠不足でイライラしていようが、晩御飯をいつもより適当に済ませようが、わたしから微笑みかければ、その倍以上の勢いで笑って話して抱きついてきてくれる。「可愛い」が自然と私からこぼれ出た。
そうは言っても、一日中騒ぎ続ける子どもたちの声で頭痛・耳鳴り・めまいはしょっちゅうだし、キャパオーバーでイヤフォンを装着してトイレに籠ることもある。母性なんてものは、生まれていないのかもしれない。ただ、この命を守りたい、と決意はしている。
赤ちゃんと僕 羅川 真里茂(著)
あらすじ
父と、母を亡くした兄弟の三人暮らしを描いた本作。主人公の兄・榎木 拓也はとにかく優しい。忙しい父 に変わり、弟・実の面倒をみるが、保育園のお迎えに家事にと、小学生なのに友だちと遊べる時間は少ない。あるとき実に大切なものを壊され、拓也は珍しく激昂する。またあるときは、少しずつ自立していく実に、拓也は自分では母の代わりになってあげられないのだと落ち込む。
周囲の賑やかな友人とその兄妹たちとともに、榎木家が成長していく姿が描かれている。白泉社文庫 版、全10巻 完結。
人が人に優しい。読むたびに、共感と反省が止まらない
幼い頃、この本の1・2巻を持っていた。読書をすると涙腺がゆるみやすく、何度も何度も読んでは号泣していたことを覚えている。最近になって読み返し、超有名作であったと知り「やっぱり!」と思った(笑)漫画好きな長女も、繰り返し読んでいる。
登場人物でシングルファザーとなった父・晴美、そして10歳の拓也と2歳の実は優しい。母は、物語の始まる2カ月前に交通事故で亡くなっている。
拓也は、母と過ごした時間を思い出しては「生きていたら」と思いふける。弟の実は、まだ理解していないようだが、ときどき母親が迎えに来た保育園児に当たってしまう。兄弟それぞれが涙をぬぐって前を向いていく。だがあらためて、父の晴美に注目して読んでみると、彼の微笑み見守る姿はあるが、涙を流す姿はあまり見られない。また、登場する回数も多いとは言えない。
生活のため、働いているからだ。昔読んだときは気づかなかったが、働き、子どもの話をよく聞き、ダメなときは叱る。理想像のような父親だった。
「拓也は拓也なんだからさ ママになろうとしなくていいんだ」というセリフがある。晴美自身がそうやって自分に唱えながら、子育てを続けていたのかもしれない。
人の死を乗り越えるのは、辛い。痛みを少しでも和らげるためには、十分な休息と、優しさを取り戻すための一人の時間が必要だと思う。晴美にはその時間があるのだろうか。それは、兄の拓也が負担している分の時間かもしれない。
家族の支え合い、と言えば聞こえが良いが、シングルファザーもその子どもも、どちらも気兼ねなく休める時間があればいいな、と思った。
シェアファミ! 日下 直子(著)
あらすじ
子育てをする父三人は、妻の失踪・死別などそれぞれの理由でシングルファザーの道を歩み始めたばかり。仕事と子育ての両立に「限界」で白目をむいていたときに偶然出会い、ともに暮らし始めることになる。父3人と乳幼児が5人。支え合いながらも、ときにキレたり、慌てふためいたりしてドタバタと暮らす姿が描かれている。2021年に全5巻で完結。
社会の支援制度やシェアハウスが 少しずつ広がってきている
本作では、現代になってようやく露呈しはじめた父子家庭の父親が働くなかで起こる問題が浮き彫りにされている。主人公は介護士として働くも、夜勤には入れないと伝える。また会社員のして働く父は、育児で残業ができない分、仕事を持ち帰ってテレワークもしているが、離婚したことで出世コースからは外されている。
前述した『赤ちゃんと僕』との違いは、本作に登場するシングルファザーたちが、3人揃って泣くところだ。父親をクローズアップしているから、育児の辛さを語りながら、辛い・疲れたというぼやきが沢山出てくるし、天を仰いで現実逃避することもある。
3人に共通しているのは「一人」で育てる辛さ。そして、妻のいない悲しみに共感できるから、互いに踏み込みすぎないところである。それに対して子どもたちは、初日から暴れまわり、喧嘩をしながらも賑やかに楽しく過ごす。
わたしは最初「シェアする生活は余計に大変なんじゃないか」と思った。幼児期の子どものパワーは凄まじいのに、人数が増えたら、もっと家の中がグチャグチャになりそうだし、子どもの声が幻聴になって聞こえてきそうだ。それに、どんなに性格が良い人でも子育て方針は各家庭で微妙に違うから、子どものことを思うからこその衝突もあり得る。
しかし調べてみると、現在はシングルマザーだけでなくシングルファザー向けのシェアハウスも増えているらしい。知らなかった。合う合わないはあるが、入居した方の満足度は高いようだ。
例えば、子どもが病気になったとき、子育てで悩んだとき、すぐに誰かに話せる環境、目を離しても自分だけではない状況というのは、それだけで安心度が一人の時とは違う。シッターサービスを受けられる施設もあるらしく、家賃だけでなく預かり保育料も軽減できる。
シングルファザーもシングルマザーも核家族も、みんな「孤育て」が辛いのは同じだ。仮に育てるためのお金が十分に稼げているとしても、誰かといることで「言いづらい辛さ」が和らぐ。
あらためて、これまで全然知らなかった、見えていなかったことを知れて良かった。制度を知らずにシングルになることをためらっている人も多いかもしれない。「調べる」ことから、生きるための方法が広がっていく。
番外編:東京シングルファーザーズ 横山了一(作)
あらすじ
乳児のお世話に慣れずに苦しむシングルファザーの姿がコメディタッチで描かれているWeb漫画。主人公は他人の部屋にズカズカと上がり込む強面パパに何度も助けられながら、離れた妻を思い出し「あのとき、この辛さに気づいていなかったから、出て行ったのかもしれない」と回顧する。現在、第4話まで「横山家のマンガ。」に掲載中。
令和の育児も「助け合い」がなければ苦しい
はじめて読んだのは、Twitterのタイムラインだった。「東京リベンジャーズ」のパロディめいたタイトルが目に入った。
読んでいるときにふと、知り合いにシングルファザーの方がいないことに気づいた。夫にも聞いてみた。やはり身近にはいない。シングルマザーの支援は、コロナ禍のニュースでもよく目にした。昨今、「共同親権」の話も増えているのが、シングルファザーの話題が少ないのはどうしてだろうか。
公園にはママコミュニティが自然と形成される。土日には父親に連れられている子も増えるが、当たり前のように「母親が家でお昼ご飯作っているのかな」と思ってしまう。おそらく、なかにはシングルファザーの方もいたのだろう。
令和元年時点では、日本には推定64万4,000世帯の母子家庭と、推定7万6,000世帯の父子家庭があると発表されている。そして、平均的な収入は父子家庭のほうが高い。(参考:令和元年度母子家庭の母及び父子家庭の父の自立支援施策の実施状況|厚生労働省子ども家庭局 家庭福祉課母子家庭等自立支援室)
7万世帯以上もあるのに、なぜここまで知らないのか。個人的な憶測となるが、あえておおやけにしていない家庭も多いのかもしれない。また、母親が育てるのに比べて、仕事を継続できる場合は経済的な困窮を避けられるから、ニュースで見かける数が少ないのかもしれない。
「共同親権」という言葉は子どものことを考えるとすごく素敵だ。離れることを選んだ理由によっては難しいし、祖父母の理解がなければ阻害されることもあるだろう。大人たちが相当立派でなければ難しいのではないか。
選択肢としての共同親権の浸透とともに、ひとり親を選択した場合の拠りどころとなる支援制度や相談できる環境、頼れる環境が増えていることも、知識としても広がっていくことを祈っている。