仕事中毒だった僕は「うつ病」をきっかけに自分の人生を「生きなおす」

こんな方にお話を伺いました
吉井 秀三(よしい しゅうぞう)

鳥取県鳥取市鹿野町在住。 大学進学後、東京で20年間、SNSやシェアエコ関連の新規事業開発を経て、鳥取にUターン。 オンラインを活用し、ウェルビーイングな新しい暮らし方を模索中。 Homeroom+運営、新規事業開発支援、ハンター活動に取り組んでいます。

TOPIC

東京との出会い 僕の心はまっさらだった

高校生のころ、将来の夢はありましたか?

正直なところ明確な目標や夢はなかったように思います。テキトーに就職をして、テキトーにゲームをして遊んで、結婚適齢期に家族をつくって。世の中にはどんな仕事があるのか、世の中はどのように動いているのか、知識がないのはもちろんですが、想像もできていませんでした。

ただ、ゲームは好きでした。高校受験で失敗したら、プログラミングや資格取得ができる情報処理学科に進もうと。現実、そうなりましたね(笑)

本当は「ゲームをつくりたい!」と思っていて、就職も関連会社がいいなぁと漠然と思っていました。学校で学んだプログラミングで簡単なミニゲームを作ってみたこともあります。しかし、どこか本気で踏み切れない部分があって。

踏み切れない部分とは?

プレステの存在です。スーパーファミコンのころは、まだ何をどうして動いているのか想像も理解もできた。でも、プレステは違いました。高校生だった僕は無謀にも、ゲームを一人でつくりあげたいと思っていて(笑)こんなゲームを作り上げられる気がしない……と勝手に自信喪失して。独学では難しい世界なんだ、もっともっと学ぶ必要がある、と思ったんです。

そこで進学を決めたんでしょうか?

当時、地元では高校を卒業をしたら専門学校への進学か就職が一般的でした。大学進学も選択肢のひとつとしてありましたが、僕も自分の将来を決めかねていて。そんななか、高校3年生のときにプログラミング競技大会の全国大会に出場したんです。はじめての東京進出です(笑)

はじめての東京はどうでしたか?

自動改札機がある!東京すげー!ビルが多い、店が多い、人が多い。目に飛び込んでくる景色が地元の鳥取とは全く違っていました。同い年である高校生たちも、どこか自分や友人とは違って。「東京」という街が「最先端」をあらわす代名詞のように感じられました。

具体的なことは何も分からないけれど、東京にいたら、何か面白いことが起きるかもしれない。その一心で大学進学での上京を決めました。正直、大学で学ぶことよりも、東京にいられる4年間が重要で。その4年間で自分がやりたいことを何か掴めるかもしれないと思っていました(笑)進学は、東京という場所と4年間というモラトリアムを選んだ結果です。

人の役に立つ仕事の楽しさに開眼した大学生活

大学生活の4年間はどんなことをして過ごしましたか?

色んなアルバイトをしていましたね。なかには簡単なプログラミングをすることもありました。

当時、プログラミングのアルバイトは珍しかったのでは?

そうだと思います。お仕事のきっかけは本当に偶然の重なりでご縁でしたね。

最初は、短期アルバイトの予定だったんです。業務内容は消失してしまったハードディスクのデータ復旧で、単純なデータ入力でした。曲がりなりにもプログラミングをかじっていたので、入力規則の法則を見つけて、ちょっとしたプログラムを組んだんです。手作業だと2週間はかかる仕事が1日で終わってしまったんですね(笑)そこで、契約期間がまだ2週間残っているので、他にも仕事を依頼される機会に恵まれました。

ホームページの作成や、CADのデータをMicrosoft Officeのファイル形式に吐き出したり、今ではそんな希少なスキルではないかもしれませんが、当時はちょっとしたプログラミングができる人間が重宝されました。他の会社を紹介してもらったり。アルバイトを続けてみないかと声をかけてもらったり。

自分の学んできたことが人の役に立っているこれが仕事の楽しさか、と思いました。

就職活動はされたんですか?

いよいよ就職をどうするかな、と考えたときに地元の友人に相談したんです。その友人は大学在学時に起業をしていて。「就職してそのあとどうするの?」と聞かれて、またもや漠然とした未来しか思い描いていなかった僕は「その企業で10年くらい働いて、そのあとに起業準備かなぁ」とふわっとした返答をしてしまいました。そしたら、彼に「就職して10年経っても、何のスキルも身についてないぞ。就職してもつまらん!」と発破をかけられて(笑)

その友人のすすめで渋谷のビットバレーの前進である交流会に誘われて。これまた偶然なんですが、会社設立準備を進めていた前職の代表と出会いました。自分で起業をするにも、まだ何も分からない状態で。会社設立や資金調達をしているスタートアップ企業でインターンをすれば、身になる知識や経験が得られるかも!と思って飛び込んだ世界でしたが、気がついたら10年以上その会社にいました(笑)

仕事仕事仕事……で駆け抜けた10年間 ぷつんと糸が切れた

社会人としての10年間はどんなものでしたか?

若さのなせるわざですが、怖いもの知らずで、何でもやれる、何でもできると本気で思っていました。とにかく仕事が面白くて楽しくて、脇目も振らずに一気に駆け抜けた10年間だったと思います。20代は仕事しかしてなかったですね(笑)

そんな仕事一筋だった吉井さんがなぜUターンを?

端的にいうと病院で「うつ病」と診断されたんです。自分のライフスタイルを変えたいと思い立ったというよりも、そうしなければ自分の身体と心が持たなかった。

僕が30歳前後だったころ、勤めていた会社は上場を達成し、社内の雰囲気ががらっと変わりました。

株式会社としての利益を追従しなくてはいけないプレッシャーのなか、買収成功した企業の新規事業の立ち上げを担当することになり。そのタイミングがリーマンショックと被ってしまって、運が悪いことに人材関連だったので、求人が完全にゼロになり、事業の推進自体を諦めました。加えて、買収した企業の従業員リストラを進めなくてはいけなくて。現場では、本人に直接退職を言い渡さなくてはいけないのが、きつかったですね。他にも平行して担当していたプロジェクトも雲行きが怪しかったり。プライベートでは、仕事ばかりしていた僕と彼女は当然のようにうまくいかず……。

だから、気持ちの糸がぷつんと切れてしまったんだと思います。

ある日、ミーティングの最中に涙が止まらなくなったことがあって。急に声が出なくなって、人とコミュニケーションができなくなったんです。十年来の知り合いである代表もそんな僕の姿を見るのは初めてだったから驚いて(笑)病院に行って来い、と。

そして病院で「うつ病」と診断されました。当時はそんな病気があることも知らないので、診断が下ったことで余計に不安になりました。朝起きることもできない。薬を飲まないと生活できない。半年経っても良くなる兆しが見えない。

自分を、周りを、だましだまし仕事をしていましたが、たぶん限界だったんでしょうね。代表からも「ちゃんと休んだほうがいい」といわれて、1年半の休息を取ることにしました。

休息期間に海外旅行を楽しむ

不思議なことに「休む」と決めた瞬間に、気持ちがすっと軽くなりました。ずっと自分の生活のコアだった「仕事」から自由になったんだと思います。そのタイミングで、4カ月ほど地元にも帰ったりして。だんだんと元気を取り戻していきました。

そのあとすぐに鳥取へのUターンを決めましたか?

「すぐに」というわけではありませんでした。なんとなく鳥取に帰りたいなぁと思っていましたし、遠隔で仕事をする感覚も持っていたので不可能ではないと感じていましたが確信はまだなかったです。

確信に変わった瞬間とは?

1年半の休職復帰後に担当した地方の雇用創出プロジェクトの責任者に任命されたのがきっかけです。地方の失業者を対象者としたプロジェクトなので、長期間の地方滞在が必須でした。そこで、関係各社の担当者とリモートで業務を円滑に推進できていたので「これはいける!」と思いました。

また、当時は睡眠導入剤が欠かせなかったのですが、このプロジェクトに取り組んでいる最中は気がついたら薬がなくても眠れるようになってました。これは完治したのかなと。

「うつ病」とはじめて診断されたとき、自分が社会人として「失格」だと突きつけられた気がしました。仕事もうまくいかない。恋愛もうまくいかない。自身に対してすっかり自信喪失していました。その当時は仕事が全てだったので、自分を全否定されたようなものです。だから、このプロジェクトでまた責任ある仕事を任せてもらえて、失った自信を取り戻せたんだと思います。

そして、鳥取に帰ろうと決心しました。

”自分が此処にいる” という充足感は東京では得られない

なぜ鳥取に帰ろうと思ったのでしょうか?

体調が回復してきた頃に、知り合いにシェアハウスを紹介してもらいました。住居をシェアするというのが真新しい価値観でしたし、自分も元気になってきたし、と軽い気持ちで住んでみました。

住んでから気づいたんですけど、自分は今までずっと仕事中心に回っていたので、人の趣味や生活に触れたことがなかったんですよね(笑)

色んな年代のかたはもちろん、業種、職種のかたが集まっている空間がとても新鮮でした。仕事を辞めたひと、仕事を探しているひと、失業保険で生活しているひと、アーティストを目指しているひと。

今までの自分の感覚だったら「大丈夫かな?」と不安になるような状況でも、みんな生き生きとしているんです。「仕事なかなか決まらないよな~」と笑い飛ばしながらリビングでみんなと食事をするのが、良いなって。人生の多様性を感じたような気がします。

シェアハウスで料理を披露

そこで、自分も人生の「意味づけ」を意識するようになりました。今までは「僕自身」のことを「仕事だから」といって思考停止をして、考えることを放棄していたように思います。全然、自分に優しくなかった(笑)

だから、考えるようになりました。世の中はいまどの方向に流れているんだろう。自分がここにいる意味は何だろう。自分が提供している価値は何だろう。

仕事の実績は積み上げてきましたが、それは自分一人の力で成し遂げたものではありません。そして、それは自分がやりたかったことなのか、これからもやり続けたいことなのかと問われると、やっぱり「100%」とは言い切れませんでした。

そして、それは同時に僕にとって「東京」にいることが重要ではなくなった瞬間でした。

仕事を辞めよう、鳥取に帰ろう、って明確に思ったんですよね。

最後に、鳥取に戻って良かったと感じることは

家のまわり、山に囲まれているんですよ。

サンセットの浜辺を家族と散歩する

だから、家を出た瞬間、「自分は此処にいるんだ」って感じられるところですかね(笑)


自分を”整える” 3つのライフハック

意外と埋もれている時間を再発掘!早朝ミーティングを毎日しています

新型コロナウイルスの感染拡大の影響によるテレワークの浸透でチャンス到来!満員電車で揺られていた時間が有効活用できる!始業前の2~3時間はゴールデンタイム。みんなの予定が空いているのでアポイントが取りやすい。オンラインならなおさら。そして、仕事をする前なので、脳が疲れていない。思考が前向きになる。

新型コロナウイルスの流行をきっかけにうまれた

そんな仮説のもと、吉井さんは朝活100本ノックを企画!100人のかたと実際にミーティングを実施。結果、やっぱり朝の会話は気持ちがいい!朝活ついでにプロダクトもつくちゃったそうです。

規則正しい生活は「就寝時間」のコントロールから 毎朝4時起きです

そんな吉井さんは毎日4時起き!早起きが苦手なかたに朗報です。早起きがしたいなら、起床時間ではなく、就寝時間を調整すべし。吉井さんの日課は夜7時半にお子さんをお風呂にいれること。それまでは、子どもの寝かしつけ後に仕事を再開していましたが、ご飯を食べて、お風呂に入ると、眠くなる。これは効率が悪いと身体の求めるまま寝るようにしたら、朝すっきり目覚められるように。

畑仕事も日課です

朝は、朝食、畑のお世話をする時間、昼食と予定のお尻が決まっているので、だらだらと仕事せず、メリハリもききます。やり残した仕事も、明日の朝にやればいいと思えるので、夕方以降は気持ちを切り替えて、プライベートに集中!

習慣は行動の積み重ね アプリで”習慣”を管理しています

毎日の12のタスク

毎日12のタスクをアプリで管理している吉井さん。何も難しいタスクである必要はありません。体重をはかる、動画を一本みる、畑を見にいく、部屋の掃除をする……自分でも達成できそうなタスクを9割、ちょっとだけ頑張りたいタスクを1割。行動を習慣化させるためには、「心地の良い状態の継続」がポイント。確かに、タスク完了音の「ぴろぴろろりーん」は心地よい!

そして、1日の終わりに「今日感じたこと」を振り返る。重要なのは「タスク」の振り返りをしないこと。夜の時間に「タスク」を考え始めると、自分がしんどくなる。1日のなかで、自分の率直な感情や思考を思い返す時間を大切に。

よかったら、”おうえん”してね!

AUTHOR

しゃゆーんのアバター しゃゆーん 「NoFrame」編集長

「NoFrame」代表。上海うまれの上野・浅草そだち。日本大学大学院文学研究科中退。リモートワーク歴10年。自分が興味をもったものは即検索・即実行がモットー。通算4000人以上、子どもから大人まで幅広い世代のかたと面談してきました。その結果、スタートアップ・ベンチャー企業の総合的な立ち上げ支援のかたわら、全世代の仕事・育児・教育が融合した新時代のコミュニティ・スペースの設立に奔走中です。

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