兵庫県神戸市在住。夫と子ども2人の4人暮らし。東京での出版社勤務ののち、児童館職員・小学校教諭を経て、現在は学研教室を2校を運営しながら、絵本の読み聞かせを幼稚園や保育園などで行っています。出先では必ず本屋に立ち寄り、現在の蔵書は5,000冊超。SNSで絵本と学びについて発信しているほか、発売中の『AERA with kids 2021年秋号』では、親子で楽しむ絵本のページ監修をつとめています。Instagramはこちら。
周りからみたら私の人生はドロップアウトの連続だった
植木さんのキャリア変遷について教えてください。
これまでの学歴もキャリアも、一本道ではありませんでした。
大学には、全部で3校も通ったんです。
最初は教員を目指して進学したのですが、正直つまらなかった。1年で中退して、東京の大学へ再入学しました。2つ目の大学では、健康科学を専攻しました。しかし、当時はストレートに卒業できる人が少ないところで、私ももれなく飲んで遊んで、勉強していませんでした(笑)そんな大学生活を謳歌しきると、通い続ける意味を見出せなくなり、大手出版社への就職を機に3年でやめました。
教員を目指してはいましたが本や雑誌が大好きだったこともあり、マスコミ・出版関係にも憧れていたんです。私はフリーペーパーの立ち上げ部門に配属され、「広告」をもらうために営業する日々でした。当時は広告を獲得すれば給料をもらえるけれど、なければ給料が入らず、食費すらまかなうのが厳しい生活でした。結局、ハードワークに心身ともにボロボロに疲れてしまって。家族の呼びかけもあり、1年働いて実家に帰りました。
神戸へ戻ったときは疲れていたから「健康な人がいるところで働きたい」とスポーツクラブで2・3年働きました。継続も一つの道でしたが、25歳を過ぎてふつふつと「やっぱり、子どもや教育に関わる仕事をしたい」と思うようになったんです。そのタイミングで、運よく児童館で働けることになりました。
その後、一念発起して、教員免許の取得のために3つ目の大学に通って、東京で教員として働くようになったのが、子どもを産むまでのキャリアですね。
やはり、目的があって大学に入るのと、なんとなく「大学生」を楽しもうと思って入るのとでは、全然違いました。はじめの2つの大学に通っている頃は「大学時代にはいろんなことを経験すべきだ!」という思いが強かったのですが、3つ目の大学は目的が明確だったから「学ぶ」ことに一途になれたんです。
人数が少ない大学だったから教授の指導も行き届いていて、「まっすぐに教員を目指す人たちだけ」しかいない環境が本当に心地よかったです。
もう一度、教員の道を志したきっかけはなんだったのでしょう?
児童館で働き始めたとき、教員免許も保育士免許も持たない状態だったのに、当時の館長さんが採用してくれたんです。
でも、あるとき子どもたちから「先生が小学校の先生だったらいいのに。そしたら、もっと学校が楽しくなるのに!」と言われたんです。人生が変わる言葉でしたね。「やっぱり学校の先生をしないといけないな」と。
それから、午前中は教職免許と大卒資格の取得のために大学へ通い、子どもたちが下校してくる午後の時間帯には児童館に行く生活を2年間つづけて、教員採用試験に挑みました。
面接では、履歴書をみて「なんで辞めたの?」とそこばかりを突っ込まれることもありました。
しかし、東京である面接官のかたが、「いろいろな失敗をしているし、いろんな仕事を経験して知っている。経験しているからこそ、子どものいろんな気持ちを分かってもらえる。君みたいな人に先生になってほしい」とこれまでの経歴をプラスに捉えてくれたんです。
中退や転職を「やめた」とみるのではなく、それらすべてを経験したうえでの「わたし自身」を見てくれた。そのあとは、面接とは思えないほど話が盛り上がりましたね(笑)
一方通行に「教える」のではなく大人と子どもへの関わりかたを変えたい
教員を辞めた理由は?
数年働いたあと産休・育休のために帰省したのですが、出産後に父が倒れて入院しました。そのときの母の姿をみて、退職して近くにいようと決心したんです。父が経営していた会社もあったので、長男をおんぶして銀行や取引先へ駆けまわりました。
もう一度、教育業界に戻ったのはどうしてですか?
育休前に当時1年生だった子どもたちに「4年生になったら戻ってくるからね。またね!」と別れてきたから、その約束が果たせなかったことは心残りでした。もっと教員として働きたい気持ちはあったんです。
それで子どもたちが5歳と1歳になった頃から、親子カフェのカフェムッターさんや書店の一角で、絵本の読み聞かせ講座を始めました。あえて「講師」という形ではとらずに、絵本と絵本の読み聞かせのあいだに、私からお母さんたちに伝えられることをできるだけ詰め込んでいく、という形でした。
絵本を教えるのではなく、少しでも保護者のかたと関わりたいと思っていたからです。児童館や小学校で働いてきて、やはり親の関わり方、周りの大人の関わり方が子どもに大きな影響を与えている、と実感していました。大人の関わり方や声のかけ方がすごく大事なんです。
ただ、講座に参加してくれる0〜3歳の乳幼児期の子どもたちが大きくなると、会う機会がなく、その後の成長を見届けることができませんでした。
それで、4~6歳の子どもたち向けに「チエノワキッズ」という、絵本と学びを組み合わせた講座を自宅で開きました。絵本の読み聞かせにアナログのボードゲームなどを組み合わて数回開催してみて、「やっぱり直接関わるのは面白いな」と感じました。
それで、子ども向けの教室を自分で作ろうか、というぼんやり考えていたんです。
子どもは自然と成長していく 大人こそ変化が必要かもしれない
子どもと関わるとき、工夫されていることや感じていることを教えてください。
教室では、学習中に子どもが理解できないときには「この子には、どうやったら伝わるかな?」と、私からのアプローチを変えてみています。問題が解けないときには、少し学習レベルを戻したプリントを出してみたり、計算が苦手な子には簡単な問題にちょっと考える問題を混ぜて、自信がつくようにしたり。「今日は疲れているな」という様子だったら、軽めの問題にしてみたりと、一人ずつに合わせて教材を変えています。
これって、東京で特別支援学級で教員をした経験があるから、いまできているのだと思います。ベテランの先生方に教わりながら、「できない、伝えられない」と思考停止するのではなく、「どうやったら伝わるか」を試行錯誤していましたから。
子どもだけでなく、登下校時にはお母さんたちと毎日のようにお話をしました。
特別支援学級に限らず、言われた通りに行動できない子どもたちに対して「子どもを変えよう」とする親は多いです。話を聞いてみると、「子どもなら、そういうことよくある!」ということだったり、「こうしてみたらいいですよ」とお母さんにも子どもにも私から伝えられることもあります。
けれど、実際に子どもの普段のふるまいや学習態度といった大人が気にしている部分というのは、周りの大人の影響を受けていることがほとんどです。結局、その子の親が変わらないと変えられないことが多いと体感しています。でも、お母さんたちも「どうしたらいいか分からない」とお手上げだったり、悩みを話す相手がいなくて、一人で抱え込んでいるケースも少なくありません。また、お母さんがワンオペ育児で他の方法や考え方を知る機会がないと、偏った考えで子どもが苦しむこともあります。
そうならないためにも、絵本講座で親子の関わり方を伝えたり、教室に迎えに来たお母さんたちのお話を聞くことも多いですね。
読書の「学び」は自由 何も学ばなくたっていい
そもそも絵本にハマったきっかけは?
長男が0歳の頃、わたしが小さい頃に好きだった、かこさとしさんの『からすのパンやさん』の新作が出ると知り、「息子にも読ませたい!」と思ったのがきっかけです。でも、あらためて読んでみると想像していたよりも文字の量が多かった。
「これ、0歳が楽しめるのかな?」「どの本なら、いま一緒に本を楽しめるのだろう」と考えたんです。そこから絵本を収集するようになりました。
最初は読み聞かせ会に通ったり、年齢ごとのおすすめ本などを紹介しているブックガイドをチェックしたり、古書店や古本市にも足しげく通いました。読んであげたい本・いつか手に取ってほしい本など、「これはいい!」と思ったら、そのときの年齢にはまだ早くても片っ端から買うんです。絵本の蔵書が一気に増えましたね。
所有している本は何冊ぐらいあるのですか?
自宅には、絵本だけで2,000冊あります。雑誌やそのほかの本も好きなので、それもあわせると5,000冊は所有していますね。収集癖のあるタイプなので(笑)本を詰め込んだワゴンは、家に6〜7台あります。リビングや寝室、カバンの中など、わざと家のあちこちに置いてあるから、ふとしたときに数秒・数分でもパッと開いて読めるんです。
もともと両親ともに本が好きで、小さな頃は毎日のように近所の本屋へ立ち寄っていました。そこで、読みたいと思ったら買う。本にはお金を惜しまない(笑)
雑誌も大好きで、いまも毎月ありとあらゆる雑誌に目を通しています。創刊号からコレクションしているものもいくつかあります。こだわっていて、目の付けどころが洗練されている雑誌が大好きなんです。だからなのか、わたしの読み聞かせは「ちょっとマニアック」と言われます。「この絵本、知らんのちゃう?」という本を出して、驚かれるのも嬉しい(笑)
絵本から学べること、教材との違いはなんでしょうか?
絵本は、そこから何を学びとるかは自由です。それに対して、教材からの学びは「これを学んでほしい」という明確な目的がある、というところが決定的な違いだと思います。
例えば、一冊の同じ絵本から、勇気を学ぶ子がいたり、言葉を学ぶ子がいたり、友情を学ぶ子がいたりします。そのときどき、その子によって、学ぶことは自由であるし、学ぶことなんて何もなくたっていいのが「絵本」だと思っています。
お気に入りの絵本を教えてください。
一冊だけ挙げるのはとても難しいですが、やはり私の絵本好きの原点となった『ふたりはともだち』などアーノルド・ローベルさんの「がまくんとかえるくん」のシリーズ。
そして、はたこうしろうさんの描く絵本です。
「がまくんとかえるくん」の絵本は、私自身、子どもの頃に親しんだ絵本でもあり、高校生の頃に親友への誕生日プレゼントに選んだ一冊でもあります。何度読み返しても、いま読んでも、二人の関係性が本当に愛おしく、あの頃の自分がこれをプレゼントに選んだことを誇らしく思えます。
はたさんの絵本は『なつのいちにち』にはじまり、私のいまの「絵本のある子育て」にどっぷり浸かることになるきっかけをくれました。はたさんの描く子どもは、どの子も本当に私の思う理想的な「のびのび」した子どもなんです。我が子が生まれて間もないころ、「こんな子どもに育って欲しい」と感じさせてくれたから、好きなのだと思います。
教室にも絵本が沢山置いてありますが、子どもたちに変化はありましたか?
学習が終わった後に寝転がって読んでいる子もいます。通学路のすぐそばにあるので、生徒ではない子も「本借りに来たー!」と遊びに来る子もいますね。
1時間以上、本に夢中で「もう帰らないと!」と慌てて帰る子もいます。いままで本を読まなかったのに、来るたびに絶対読んでいる子もいて、それはわたしの「こうしたかった」という理想で、そういう子どもたちの姿を「めっちゃいいやん」と思ってみています(笑)
「生きた学び」である「知恵」の輪をひろげるために
これから実現したいことはありますか?
いつかは、収集している絵本を家庭文庫として貸し出していきたい、という構想もあります。いまも既にそんな感じですが(笑)
近くに住む子どもたちから「本が好きな近所のおばちゃん」として認識されたら嬉しいですね。
いまの住まいは小学校に近く、しかも通学路に面した場所にあります。だから引っ越しを決めたときに、地域のなかで子どもたちの育成をサポートする役割を担っていこうと夫婦で決めていました。
昭和な考えかもしれませんが、ネットにはない「なま」のつながりは生きるのを助けてくれます。夫も私もそうやって小さい頃に地域の人たちに育ててもらいました。だから、家でも学校でもない、子どもが気軽に遊びに来れる場所として、常にドアをあけていたいと思います。
思えば、高校時代は野球部のマネージャーで、最初の大学も2つ目の大学も健康科学を専攻していました。多分、人の背中をそっと押したり、ケアしたり、そういうことをしていきたいんだと思います。
これからの教育には、どんなことが必要だと思いますか?
私の屋号「チエノワ」にもその思いを込めていますが、「知恵」が必要だと思っています。知識でもなく、知能でもなく、知恵です。知識や知能であれば、人工的に構築できるものかもしれません。しかし、知恵というものには、「温度」や「血」が通っている。「生きた学び」が込められていると思っています。
思考力や想像力、主体性…さまざまな言葉でこれからの教育に必要な力が語られていますが、それらすべてがこの「知恵」という言葉に集約できるのではないか、と感じるのです。私はそんな「知恵」のある子の輪(チエノワ)を広げていくことを実現していきたいと考えています。
たまたま、その手段の一つとして、いまは絵本の講座や、学研教室であるのだと思います。なので、絵本のことも、学研教室も、それぞれが「チエノワ」の中の一部門、一事業であるという位置付けです。これから何ができるかはまだまだわかりませんが、いろいろな形で「知恵の輪」をひろげていけたらいいなと思っています。
- かこ さとし 作『からすのパンやさん』偕成社,1937.9
- アーノルド・ロベール 作・三木 卓 訳『ふたりはともだち』文化出版局,1987.3
- はた こうしろう 作『なつのいちにち』偕成社,2004.7