40代主婦が24年前の「就職氷河期」を振り返る

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24年前のわたしが直面した就職難

私が初めて就職活動に臨んだのは今から24年前の1997年だった。日本経済は破綻し、大企業だけに留まらず、大手銀行や大手証券会社の倒産が相次いだ。企業側は採用活動を縮小し、いわゆる就職氷河期に突入していた。

そんな時代、お嬢様短期大学在籍の私は、2年しかない短大生活の半年間を留学に費やし、呑気に帰国したころ、世の中は就職戦線真っ只中だった。何が起こっているのか分からないが、とりあえず就職活動というものをしないといけないらしいので、何をすればいいのか情報を集めてみる。

  1. 資料請求して企業説明会に出席し、エントリーシートを入手する。
  2. 手書きで記入して郵送。返信が来ればSPI・筆記テスト
  3. テストに合格すれば、一次面接、二次面接、最終面接へと進む。

という流れを理解することができたが、その他にも、OB・OG訪問などで企業に顔を売る等するべきことはたくさんあるらしい。それを何十社分もしないといけない。そして、たとえエントリーシートを出しても学校名などで弾かれ、試験を受けることさえできないこともあるということも分かった。

「100社以上にエントリーしてようやく内定をもらえた」という体験記を読み私は絶望した。

これから天文学的な数の(大袈裟)企業の中から、これまた大量の企業を選んで資料請求したり説明会に参加して、たくさんエントリーを弾かれ、受けても落とされ…が繰り返されると思うと、もう就職なんてしなくて良くない?と諦めかけていたが、母が「せっかく短大行ったんだから、きちんとしたところに就職しなさい!!」と怒る。

きちんとした所なんてどんな所か分からないので、母の薦める【一部上場のメーカー】を目標にすることした。大企業に就職できれば、産休・育休など福利厚生がしっかりしてるから一生働けるそうだ。

ふと目についた大学内の就職課というところで「一部上場のメーカーに就職させてください」と試しにお願いしてみた。これが意外と大成功で、数々の企業を紹介してくれる。ものを知らない私は、名前を聞いたことのない会社がこんなに世の中にあるんだと驚いたが、ひとまず片っぱしから受けてみることにした。そしてたくさん落とされた。

途中で我に返り、なぜよく知らない会社にこんなに必死に入れてもらおうとしているのかと考えることもあったが、そんなことより、どこかに就職しないといけないっぽいので無心にリクルートスーツを着て、言われるがままの【一部上場のメーカー】に突撃し続けた。

そして7月。ようやく1社から内定をもらえた。はじめて企業名をそこで耳にした、大企業の分類の財閥系のメーカーだった。

社会に出るまで認識できなかった、当たり前のように存在したジェンダーの壁

やった!就職活動が終わった!!

そして、私はどんな仕事をするのかも分からず「一般職」として入社する。

入社してみると本社採用の一般職の同期は10名ほどで、高卒・短卒と縁故採用の四大卒女子だった。総合職は50名以上の中で女子は2名のみ。高卒、短卒に比べると、四大卒の女子は、時間もお金もかけて社員教育しても結婚出産などで退職してしまう。働ける時間が短すぎるという理由で敬遠されたそうだ。これだけいる総合職の中で数名の女子しか入社できない。一般職でも就職は難しい。縁故を使えなければ、四大を卒業しても一体どこに就職できるのだろう。世間では、男女雇用均等法がどうのなど言われていたが実情はそんなものだった。友人が就職した大手商社では、一般職の内定式で「あなたたちはお嫁さん候補です」と言われたらしい。どういう文脈での発言かは分からないが、まぁセクハラでしかない。

就業時間前に部署内の掃除、机を磨き、朝のコーヒーをそれぞれのカップに入れて配る。部長の机には専門の新聞をきちんと表紙を向けてセットして置く。それがまず、新入社員の私に課せられた仕事だった。

営業事務の引き継ぎをしてくれたのは、1ヶ月後に寿退社をする予定の先輩社員だった。「30歳だからギリギリだったね」と送別会で誰かが言っていた。30を迎える頃になると、次々と誇らしげに寿退社していく先輩方。なぜ辞めるんだろう?福利厚生がしっかりしているから一生働けるって聞いたのに…。30歳以降も働き続ける先輩を揶揄して「あの人みたいにずっと会社にいると怖くなっちゃうから、早く結婚するんだよ」と助言(?)してくれる男性社員もいた。

私の同期には、結婚しても子供を産んでも辞めないと固く決心している人もいて、今も在職しているが、産休明けでは大変な思いをしたらしい。仕事を振ってくれない。時短についての嫌味を言う。もっと若い子が欲しいなど言いたい放題言われ、我慢の限界を超え、人事に訴えようやく快適な場所を手に入れたそうだ。

セクハラという言葉がなかった時代、こんなことは日常茶飯事だった。

小さな嫌な思いはたくさんしたし、我慢もした。それが当たり前だった。同期の総合職は出世していくが、一般職は制服を脱ぐことも難しい。ちょうど過渡期にいた、この世代の女性たちは、就職することも就職してからも仕事を続けることも、思えば困難だらけだったように感じる

わたしが20年後社会に飛び立つ子どもたちに望むこと

最近、転職や就職サイトのリサーチの仕事をしていて思うことがある。

今は情報はネットで気軽に手に入り、たくさんの就活を手助けするツールもある。

学生も転職を考えている人も、どんな仕事をしたいか、どんな企業なのか、自分にあった職業は何かを考える機会も多いだろう。羨ましい。いい時代になってきたのだなぁと感じる。もちろん、私の時代にも自分でしっかり考え、学生時代からインターンで仕事をしつつ将来のためになることを身につけ就職した人もいた。

ただ、今の時代のように当たり前にできたことではない。

私のように、就職することに必死で、将来や自分のことを深く考えるよりも就活を優先させている学生が溢れていた。

狭き門をくぐり抜けることだけが目的となっていた。私の高校生になる子供には、今からしつこく「自分の将来は何をしたいか」質問している。

私は後悔しているわけではない。その時の私なりに必死に頑張ってきた。女性に対する理解の少ない風潮の中でも、強かに生きていく先輩方から学んだこともたくさんある。ただ、失敗は自分で選ばなかったことだ。

親からは、大企業に就職すれば安泰と言われ、就活の渦に飲み込まれ、世の中の風潮に適応することしか、若く未熟な私はできなかった。働いて何年か経つうちに、落ち着いて考え始めることがようやくできた。子供にはそうなって欲しくはない。いつ始めたって遅くないだろう。でも始めるのは早い方がいい。

日本経済は相変わらず停滞し、終身雇用もなくなりつつある。

実力がものをいう世界では努力も必要だ。まだまだ女性が働きづらい場面もあるだろう。でも、有り余るほどの情報やツールを巧みに利用し、自分の望む生き方・働き方を自由に我儘に掴み取って生きて欲しいと思う。そんな自由な若者たちの活躍を楽しみにしながら、私は今の私にできる自由な生き方を模索し続けたい

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東京の下町生まれ下町育ち。出産を機に退職後、細々とパートタイムで働いていたがコロナによって専業主婦に戻る。コロナ終息と上の娘の高校入学をきっかけに、在宅ワークにチャレンジしてみようと一念発起。新しい働き方になかなか慣れず、戸惑いながらも必死に勉強中の40代。昔の邦画と中国歴史ドラマが好き。在宅ワーク初心者。

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