文学は、わたしから何も奪わない。
どれだけ没頭しても、あるいは目の前の現実に奔走して離れていたとしても、許してくれる。
ちいさな頃からの、大切な友だち。
外へ出ることが恐ろしくてたまらなかったわたしに、世界を見せてくれた。
そうしてそれは、きっと生涯変わらない。
ある時、読んでいた本のなかに詩の引用があった。
「痛い」 工藤直子
すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか
だから こんなに痛いのか
『新編あいたくて』新潮文庫
短いことばのなかに真実が詰まっているようで、自分のことばを外の世界に見つけたようで、はっとさせられた。
その頃、わたしはそれがものであれ人であれ、「愛情」をうつすことが怖くなっていた。
ものは壊れるし、人は変わる。去ってゆく。それが苦しかった。
すきになることが、自分の心の一部分を分け与えることなのであれば、だからこんなに痛いのか。
だからこんなに痛いのか。
ちぎってあげてしまった心は、もう戻ってこない。
きっとその時、詩のことばを通して目を背けていた自分の心のありように気づくことができたのだと思う。
それからも、ふとした瞬間にこの言葉がよみがえっていた。
それをきっかけとして、ごくまれに、詩の本を手に取るようになった。
「幸福論」(抜粋) 三角みづ紀
わたしだっておさないころ
ことばを紡ぐこともせず
必死で
温度を求めて
それは
羊水から脱出した後悔にも
ひとしく
『三角みづ紀詩集』思潮社
三角みづ紀さんの詩は、決して難解ではなくその世界へと入っていけるのだけど、
透明さと偽りのない残酷さが感じられて好きだ。
それは他者へ向けられる残酷さというよりも、自分自身に内在する残酷さ。
それを否定することなく、まっすぐに見つめている。
わたしだって、人間という残酷な生きもののひとりなのだから。
詩を通して、世界を見つめ直す。
ことばが自分の体に染みわたって、「あたりまえ」の日常が化学変化を起こしはじめる。
それを受け入れて、あたらしい自分があたらしい日常を迎えることができるのだ。
いつでも、自分さえ望めば、世界は違う景色を見せてくれる。
ことばは、そのためのスイッチになり得るということ。
「愛すること」より ルビ・クーア
あなたはどうやって
私みたいな山火事を
こんなに穏やかにできるの
私は流れる水になる
『ミルクとはちみつ』アダチプレス
真っ黒な背景に蜂の絵が描かれた表紙。
なぜだか無性に心惹かれて、手に取った詩集だった。
描かれているのはひとりの女性の痛み。
嘆きのような、諦めのような、けれど前を向く強さのような。
この詩集のなかに自分の姿が重なってしまう感覚は、苦しいことだと思う。
同じ本から、もう一篇を。
「壊れること」より ルビ・クーア
私たちふたりともしあわせじゃなかった
でも私たちふたりとも去りたくはなかった
だから私たちはお互いを壊し続けて
それを愛と呼んだ
『ミルクとはちみつ』アダチプレス
自分をしあわせにできるのは自分しかいない。
誰かとのしあわせだって、それを「選ぶ」ことは自分にしかできないのだから。
たったひとりの自分の人生をドライブするために、ことばを最良の友にしてほしい。