音楽は言葉を「越境」する コロナ禍だからこそ見えてきた大切なこと

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こんな方にお話を伺いました
浦野 有加(うらの ゆか)

東京の西多摩生まれ育ち。幼い頃から外国へ憧れ、オーストラリア・カナダで海外生活。90ヶ国以上の人と出会い様々な世界に触れる。2015年より音楽を通して日本と外国の橋渡しをする「国際交流コーディネーター」の活動を開始。また、SE・プログラマー、ホテル、日本語教育、外資企業、など、これまで20以上の業種・職種を経験、2016年よりパラレルワーカーとなり「6足のわらじ」でオンライン・オフラインで様々なアシスタント・サポート業を行う。

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音楽業界で仕事をしよう!なんて夢にも思っていなかった

浦野さんはとても変わった経歴をお持ちですがアーティスト・マネジメントのキャリアを築くきっかけは何でしたか?

音楽との出会いがいつなのか振り返ってみると、祖父の影響が大きいのかなと思います。自宅でも車内でも歌謡曲や演歌のカセットをかけているのが当たり前でした。8トラ(ハチトラ)って知ってます? カラオケボックスがまだ流行る前って自宅カラオケが主流だったんですよ。家族みんなカラオケが大好きで。私はテレビっ子だったから、ザ・ベストテンのような歌番組もかかさずチェックしてました。

それで、社会人1年目からゴスペルをはじめて、様々なクワイアに15年くらい所属していたんです。ワーキングホリデーでオーストラリアやカナダにいたときも、地元のクワイアチームに参加する!というのが絶対条件であり、自分の目標で。オーストラリア・パースに滞在していたとき、たまたま地元のクワイアチームがワークショップを開くというのが地元新聞に掲載されて当時は電話も満足にできない英語力だったのでホストマザーにお願いをしてなんとか参加にこぎつけました。そのくらい、ゴスペルが好きだったんですね。

帰国後も本場ゴスペルを学びたいという想いがあり、ジャマイカ出身のジョン・ルーカスさんが赤坂でクワイアを結成されるというのを知り、迷わず参加を決めました。そこで出会った方に「すみだストリートジャズフェスティバル」のボランティアを手伝わないか?と声をかけられたのが、アーティスト・マネージャーというキャリアのスタートですね。

「すみだストリートジャズフェスティバル」ではどのようなお仕事を?

すみジャズは市民ボランティアの音楽イベントなんです。海外文化に興味があった私は数多くある委員会のなかで「国際交流委員会」に所属しました。外国人アーティストのサポートが主なお仕事でした。

縁が縁を結んで……といった感じで、アーティストのライブに遊びにいくうちに、「Afro Begue(アフロベゲ)」のボーカルであるセネガル人のオマール・ゲンデファルに出会いました。たまたまバンドが1枚目のCDリリースした年というベストタイミングな年越しライブに呼ばれて。

「このバンドはいい!」と彼らをすみジャズに自ら招致しました。彼らの「海外進出したい!」「フジロックに出演したい!」という想いをきいて、応援団のようなかたちでアーティスト活動を手伝いはじめたんですよね。これまた「仕事」としてスタートしたわけじゃないんです(笑)。

刺激を求め続けて 「広く浅く」が私の強み

パラレルでいくつもお仕事をしているとエネルギー切れになったりしませんか?

私の原動力はなんだろう?と考えると「好奇心」がひとつあるのかなと思います。親戚がスポーツ記者だったこともあり、家には毎日、新聞が五大紙に加えて日刊スポーツが届いていたんです。私にとって新聞は「活字」ではなくて「写真」がたくさん載っている「絵本」みたいなものだったんです。朝の日課だったんですね。情報をがんがん浴びるのが。

好きなアーティストがいるとCDを全部集めたり、ラジオやテレビでとことん調べたい!タイプでした。でも、自分が満足すると「もういいか」って突然飽きることもあります(笑)。

それが仕事ではどのように活かされていますか?

こういうと飽き性や堪え性がないと言われてしまいそうですが、私はひとつの場所に留まることができない性分なんですよね。3年が限界です(笑)。自分では意識していないのですが、3年のサイクルで自分のなかの「好奇心」がざわざわと新しい「刺激」を求めはじめる。この業界知らないなぁ~とかやってみたいなぁ~と思うと、身一つで飛び込んじゃうんです。

アルバイトも含めると今まで20業種以上経験してきたんじゃないかなと思います。コンビニのおにぎりのライン工場で働いていたこともありますし、印刷業、運送業、日本語教育、外資系IT企業でプロジェクトマネジメント、システム開発でエンジニア、事務代行などなど、色んなことを経験しましたね。だからこそ、「浅く広く」が自分の「強み」なのだと思っています。

それはみなさんを勇気づける言葉ですね。世間では「長く深く」が求められがちです。

専門的な分野はそのプロフェッショナルに任せればいい、と私は割り切っています。だから、自分が合わない職場や職種の場合は3カ月でもすぐに切り替えます。もちろん、その経験自体は無駄にはしません。仕事の流れを知るだけでも、自分にとってはプラスになってるんです。

多くの業界・業種・職種を経験しているからこそ、おおよその仕事の「雰囲気」がわかる。それってプロジェクトを遅延なく進行するためとても重要だったりするんです。クライアントがどんなことに課題意識を持っているんだろう?メンバーがどんなことに困っているんだろう?が想像しやすい。それってサポートする側からしたら先回りして行動ってできるってことですよね。

仕事のベースは一緒 私のコア業務はみんなの「サポート」

一見すると共通項をみつけるのが難しい浦野さんのキャリアですが、ご自身ではどうですか?

人やチームを「サポート」するのが、私のコアなんだと思います。

高校生のときに心臓の病気を患ってしまい、大好きなスポーツができなくなってしまったんです。バスケ部でレギュラーだったのが、体育の授業にも参加できなくなって。それでも大好きなことに関わっていたかったからマネージャーに転向しました。大学でも水泳部のマネージャーになっていたから、この時から「サポート業」が自分に合っていると感じたのかもしれません。

IT外資企業でのプロジェクト・マネジメントの経験がいまの自分に活きているのありますね。濃厚な10カ月間を過ごしました。自分はプロジェクトリーダーのアシスタントとしてジョインしたのですが、いろいろとあって(笑)、私がその代わりを担うこともあったんですね。その時に「私はオモテに立つタイプ」じゃないなって実感したんです。

誰かをサポートする仕事のほうが「自分らしい」と感じました。せかせか忙しく動いているほうが好きなんだなって(笑)。

日本語教育の会社での事務仕事は、講師や学習者がよりよい環境で授業ができるように。レストランのレセプションの仕事は、お客さまがとっておきの時間を過ごせるように。運送の積み荷の仕事は、ドライバーさんが仕事をしやすいように。もちろん、アーティストのマネージャーも、アーティストが最高の演奏ができるように、そして、アーティストとお客さんが最高の時間が過ごせるように。

それが私の「コア業務」ですね。

音と共に生きるアフリカン・ミュージックで国境も世代も越えていく

浦野さんにとって音楽とはどんなものですか?

音楽って会話がなくても成立するんですよ。音があれば世代をこえて、共有しあえるものがある、みんなが笑顔になれる。音楽って、言葉が通じなくても心がつながれる「ツール」なんじゃないかなと思います。もっと大きく位置づけすると「エンターテインメント」ってそういうものなのかな、と。

一緒に活動しているオマールが、音のルーツとも言われるセネガルの出身で、太古より音を通して会話をしていた伝承音楽家であるグリオの血をひいているんです。だからに余計にそう強く感じるのかもしれません。楽しむだけではない、生活に密着した「音」の世界に生きていたひとと一緒に仕事をしているからこその気づきですね。

子どもたちがオマールと一緒に太鼓をたたいているだけで、表情が変わるんですよね。言葉も満足に通じないかもしてない。アフリカの音楽なんてあまり耳に馴染まないかもしれない。テクニックなんて要らないんです。ただ、太鼓をたたく振動がそのまま子どもたちの心に届くんです。

浦野さんの夢は?

正直、いまは未来がまったく読めない。自分自身がやりたいこと、実現したいこと、もう少し時間をかけてゆっくり考える必要があるのかなと思います。

ひとつ、ブレない軸があって。「音楽」と「国際交流」の活動をもっと広げていきたいと考えています。コロナ禍以前は学校や地域コミュニティなどでワークショップイベントを開催することもできたのですが、現状はワークショップイベントどころかライブ活動も難しい。まずはそれを再開させたいですね。もちろん、コロナ以前に戻ることはきっとできない。だから、次へのステップとして、新しい方法を模索しながら、国も世代もコロナ禍も越えていける「ライブ」の「場」をつくりたいと思います!

本記事でご紹介したアーティストはこちらです

Afro Begue / アフロベゲ

ジェンベ・マスターのセネガル人、オマール・ゲンデファル率いるアフロビートバンド。「アフロベゲ」の「ベゲ」はウォロフ語で「楽しむ」の意味。セネガルに数世代に渡る伝承音楽家(グリオ)であるオマールの伝統音楽と現代のサウンドを融合させたオリジナルサウンド。国内最大級のジャズフェスティバル「東京JAZZフェスティバル」をはじめ、「アースデイ東京」「すみだストリートジャズフェスティバル」、「中津川 THE SOLAR BUDKAN 」、そして2018年には遂に「FUJI ROCK FESTIVAL」にも出演を果たし、アフロベゲ流の西アフリカ音楽で大観衆を魅了した。世界中のダンスフロアで再注目が進むアフリカ大陸全土のダンスミュージックだが、ここ日本でも着実にリスナーを増やしている。2020年秋よりベースにKenKenをむかえ、グルーヴもますますパワーアップ。日本を代表するアフロビートバンドなることは必至の存在だ。

オマール・ゲンデファル / Vocal, Djembe │ 津田 悠佑 / Guitar │ 佐々木俊之 / Drums │ KenKen / Bass
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Omar Gaindefall / オマール・ゲンデファル

セネガル出身のグリオ(伝承音楽家)。数世代に渡る西アフリカ伝統打楽器専門の家系に生まれ、幼少期より自然に打楽器を叩き始める。17歳より国立舞踏団のジェンベソリストを務め、世界各国で演奏、数々のミュージシャンのライブやレコーディングに参加。現在はセネガルと日本を拠点に活動。自身のバンド「Afro Begue」を中心に、駐日セネガル大使館公認式典、JICAイベント等で演奏。2016年、リオオリンピック2016に向けたバスケットボール女子日本代表国際強化試合2016の日本・セネガル代表戦において、3試合でセネガル国歌独唱を務める。2021年秋、これまでも共演を多く重ねている日本を代表するアーティストと11年ぶりのソロアルバム<DAKAR-TOKYO>と7inchをリリース。また、全国各地でアフリカンドラムのワークショップを開催するとともに、学校公演等、アフリカ音楽・文化の普及に大きく貢献している。

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しゃゆーんのアバター しゃゆーん 「NoFrame」編集長

「NoFrame」代表。上海うまれの上野・浅草そだち。日本大学大学院文学研究科中退。リモートワーク歴10年。自分が興味をもったものは即検索・即実行がモットー。通算4000人以上、子どもから大人まで幅広い世代のかたと面談してきました。その結果、スタートアップ・ベンチャー企業の総合的な立ち上げ支援のかたわら、全世代の仕事・育児・教育が融合した新時代のコミュニティ・スペースの設立に奔走中です。

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