自由主義時代の私たち 鈴木佐藤(著)
あらすじ
本作では、現代女性たちの身勝手な周囲の声に苦しむ「心」が描かれている。
第1話に登場する女性は、育休かたの復職を希望していたが、すでに会社には自分の席がなくなっていたため、時短勤務の正社員に転職した。なんとか家庭と仕事を両立させようと奮起するが、保育園のお迎えと社内会議の時間が被ってしまい、上司からは「あなただけが毎回出席していない」と嫌味を言われる。夫の協力を仰ごうにも、子どもたちが寝静まったあとに帰宅する人には期待できなかった。だんだんと疲れ果てていった彼女は、自分の本心を相手に伝えられなくなってしまう。ある時、夫から結婚前に好きだったテーマパークに行こうと唐突に誘われて……。
収録作品は「しあわせな日々」の他、「おわらない夢を見てる」「自殺志願」「HAVE A GOOD DAY」三編。現在三巻まで発売中。
仕事と育児の両立なんて、ひとりじゃ無理ゲーだ
第1話「しあわせな日々」を読んで、私自身の経験を思い出した。
一番目の子が生まれる前まで、私は自分の気持ちや思ったことを口に出せるほうだった。しかし、出産を境に「母親としての自信」、「女性としての自信」、「社会人としての自信」をだんだんと失っていった。それは、何もかもが「初めて」にあたる子育てにストレスを感じていたし、連日の睡眠不足という身体的な問題もあったと思う。住み慣れない土地に越してきたことも関係していただろう。言葉を理解しない赤ちゃんと家で二人っきりの生活のなかで、いつのまにか私の心と身体が、ちりぢりに引き剥がされていった。
私が二人の子どもを抱えて家に引きこもるようになった理由はいろいろある。
娘を公園に連れていけば「あの公園は汚いのに赤ちゃんを連れて行くのはかわいそう」、リトミックを習いに行けば「子どもにはまだ早い」…と何度も言われたこと。仲良くもない人になぜか個人情報を知られていたこと。そして、ワンオペ育児をうまくできなかったこと。「自分が気にしすぎなのかもしれない」と思い込んでやりすごしていた。
二番目の子の離乳食がはじまり、少しだけ時間の余裕が生まれたころ。きっと私の心は限界だった。自宅からは遠く離れた海辺のカウンセリングルームで優しそうな女性に話を聞いてもらった。「頑張りすぎているから、つらいんだよ」と言われて涙が止まらなくなった。家事を満足にできないこと。子どもとうまく接せないこと。本当は仕事を辞めずに働き続けたかったこと。母親や友だちには恥ずかしくて言えなかったことも全部、全部、吐きだした。
本作を読み切ったときに、あの頃の自分に対して「あれは傷ついて当然だった!」と肯定できたように思う。
あたらしいひふ 高野雀(著)
あらすじ
表題作の「あたらしいひふ」には、表紙に描かれている見た目も性格もバラバラな女性四人が登場する。
彼女たちの服の決め方はそれぞれまったく異なる。服を考えること自体がしんどい女性、かっこいい服が似合う女性、個性のでない服が落ち着く女性。そして、「自分の思うかわいい」で全身を彩る女性。彼女たちがどうしてその服にいきついたのか。過去や心境の変化が描かれている。
収録作品は「あたらしいひふ」の他、「It’s your (new) ID.」「Recycled Youth」「妄殺ソングブック」の四編。
無意識の「女の子なんだから」の一言が、全然違う人間を同じように傷つける
表題作「あたらしいひふ」のタイトルは「皮膚(ひふ)」と「被服(ひふく)」がの音が似ていることが由来だ。
それぞれの意思・感覚で「服」を身にまとう彼女たちは、まるで武装しているように思う。好きな服を着て。化粧をして。なんだか強く在れる。好きな曲でも同じようなことが歌われていた。ジェニーハイfeat.ちゃんみなの『華奢なリップ』という曲に、私はひどく背中がしゃんとするのだ。赤いリップを塗りたくなる。
ちなみに、私の服の決め方は「高橋さん」に近い。彼女は自分に似合う服を考えることに苦しみ、苦肉の策で「制服化」することを思いつく。そんな高橋さんの試行錯誤を周囲の男性は「女の子なんだからさ、もっと服に構ったほうがいいよ」と心無い言葉をかけたり、苦肉の策である制服に「ちゃんとしてていいと思うよ」なんて適当な言葉で受け流す。
そんな彼らに私は腹が立った。
ミニマリストやジョブズのような先駆者も身につけるものを「制服化」していたじゃないか。服を悩むのに費やす時間を他のことに使えるのだ。同じ服をルーティーンで着こなすのってエコだと思う。
わたしも、お買い物や娘たちの送り迎えをするときに、服が決まらず困った経験がある。清潔感があって、イマドキ感もあって、でも派手すぎない。年相応で、くたびれたママには見えない服。なんと条件の多いことか。
いまは在宅ワークを理由に敷地内から出るときだけ「外にでても大丈夫な服」に着替えている(笑)母からは「そんな楽な服ばかり着ていたら体型ゆるむよ」とは言われれるが、楽だし、敏感肌にはさらっとした服の方が着心地がいい。ということで、もっぱらトレーニングパンツに、洗ってもへたらないTシャツ。エウレーカ!(作中参照)
そのほかにも、「清く正しく」「ありのままが可愛い」「すっぴんの美しさ」と外野が言いたい放題のシーンが描かれている。ワイドショーやSNSでもいまだに見かける気がする。どうして女性は男性に「選ばれる側」という構図がまかり通っているのだろう。そういった不平等さを飲み込んで「服」を着ていることに気づかず「女の子なんだから」と言った男性を思い出し、また腹が立った。
私はできる限り、子どもたちの着たい服を「いいよ」とそのまま受け入れたい。社会から無意識に押しつけられる「女の子だから」「男の子だから」を受け入れなくていいと伝えたい。
WOMAN 戸田誠二(著)
あらすじ
未婚か既婚か、年代もおかれた状況も違う女性たちが、本作では社会の固定観念にふりまわされる。「女だから」と枕詞をつけるのは、決まって親やまわりの大人なのだ。
7話目に収録されている「サッフォーの末裔」では、小説家になる夢を追いかけることで家族に勘当された女性と、彼女の再婚相手、その連れ子の娘と恋人の女性が登場する。再婚してすぐに娘はお互いを愛していることを、小説家の女にカミングアウトするのだが……。
収録作品は「サッフォーの末裔」の他、「Life」「1900」「猫」「ミーム」「見知らぬ女」「片付けろ」「帰る」の八編。
紀元前からあった「理解されない」苦しみが、現代にもまだ残っている不思議
7話目の「サッフォーの末裔」がいちばん印象に残っている。
「サッフォー」は、古代ギリシャに紀元前に実在したと言われる詩人で、恋の歌を得意としていたそう。彼女については、レスボス島に学校を建てて、女性たちに文芸や音楽、踊りを教えていたという話も残っている。
恋人同士の女性たちは、周囲に自分たちの関係を認めてもらおうとお互いの親を説得しようと奮起する。しかし、父親に「お母さんが亡くなって俺の育て方が悪かったのか」と言われ、一度はパートナーと添い遂げることを諦めてしまう。「変えられない自分を受け入れてもらえないつらさ」を語りかけられ、彼女たちは「自分の気持ちを偽り続ける」ことを辞め、逆境に立ち向かうことを選んだ。真剣に言葉をつむいで自分たちの想いを伝えるその姿がせつなく、私には違和感があった。
これが「男女の恋愛」ならここまで理由をもとめられるだろうか。そんなもやもや。
家族の言葉に振り回されているひと。「本当はやりたくなった」という苦い思いをかかえているひとは、きっとたくさんいる。
「あとがき」で女性編集者たちが言った「女が疲れている」が、ズシンと心にひびいた。
そう、私たちは疲れているのだ。誰かに認めてもらうには、思いのたけを愚直にぶつけるしかない。しかし、一方で女性は「話が長い」とか「感情的だ」とか揶揄される。
男女平等、ジェンダー性差なしをうたう世の中だというのに。疲れるのもやむなし。
せめて疲れきってしまわないように、伝わらない人とはほどほどの距離を置きつつ、自分が心地よい環境にわたしは身をおいていきたい。そして、誰かのことを無意識に傷つけるような固定観念を振りかざさないようにしたい。