先日、結婚18年目をむかえた。思い返すと山アリ谷アリの結婚生活だった。なかでも最も深い谷は一昨年のことだ。
これまで病気らしい病気をしたことがない夫が、「なんだか手足がしびれる」とぽつりと言った。きっと仕事の疲れだろうとしばらく様子をみていたが、ある夜、大きな物音で私はとび起きた。トイレに起きた夫が、自宅の階段から足を滑らせ転がり落ちた。しびれで足がうまく動かなかったという。夫は子どもの頃に頸椎を損傷し、あと数ミリずれていたら下半身不随になっていたという話は聞いていた。今になってその後遺症がでたのだろうかと疑った。翌日に整形外科を訪れて精密検査をしてもらったが、原因はわからなかった。手足もうまく動かない状態なので、そのまま入院することになった。日に日に症状が悪化し、入院して1週間すると首から下が完全に動かなくなった。意識はしっかりしているし、脳も正常だ。いったい何が起きているのだろうか。不安になって担当医に聞いても検査中だというばかりだった。
数日入院するだけだと思っていたので、3人の子どもたちには詳しい病状を説明していなかった。病名もわからないのに説明もできないが、とにかく心配をかけないようにと「もう少しかかりそうだけど治るから大丈夫だよ」と伝えた。中3の長男は、半年後に高校受験を控えていた。父の入院など関係ないといわんばかりに、「勉強する」と言い残し自室に戻った。小5の次男は、バスケットボールクラブに所属していて、バスケで父のアドバイスが欲しかったらしい。小2の長女はパパが大好きなパパっ子で、帰ってこない父を心配していたようだ。
私の言葉に少しほっとした表情をみせる子どもたちとは裏腹に、私は不安でいっぱいだった。どんな瞬間でも、気を抜くと恐怖で涙があふれてくる。不安な気持ちを子どもたちに見透かされないように、いつも通りを装った。子どもたちの前では絶対に泣かない、泣いていいのはお風呂の中だけ。子どもたちを支えなくては。
入院から10日たったがいまだ原因はわからない。その日の夜、あまりにも進行が早いため、内臓の筋肉にも影響がでる可能性があるので一般病棟からHCU(高度治療室)に移動させると病院から電話があった。それだけ重症度が高いということだ。本人とも電話で話をし、精いっぱい全力で励ました。人間は無力だ。励ますことくらいしかできない。あとは神に祈ることぐらいだ。「こんな時だけ申し訳ありません」と神様に謝りながら、毎日、毎晩、祈った。外出中に神社を見つけると、どんな神様でもいいから助けてほしいと手を合わせた。子どもの頃、神様がケンカするからお守りは一つがいいよ、と母に教えられたが、そんなことは言っていられなかった。少しでも夫の助けになるならばと病気の原因究明のために「これでもか!」というくらいネットで検索をした。どこかの偉い大学教授の論文であろうと隅から隅まで読んで調べた。
HCUに移動した翌日、夫が無事に1日を過ごせたことに感謝し、私はもしもの時のことを考えた。医療保険や生命保険はどんな契約だったか、治療費はどれぐらいかかるのか、銀行口座の名義変更や家のローンはどうなるのか、子ども3人分の教育費はどんな支援や制度があるのか。私は3児の母だ。こんな時だからこそ、これからの生活のことを冷静に考えなくては。
私は在宅ワークでフルタイム勤務をしている。今後どうなるか分からない状況の中、今の仕事を手放すわけにはいかない。仕事、育児、夫の看病、とても一人では抱えきれない。子どもたちにも、周りの人にも頼ろうと決めた。私は人に頼るのが苦手な人間だ。育ってきた環境によるものかもしれないが、自分の中の色々なものが邪魔をして「助けてほしい」の一言がいえない。でも、今回ばかりは子どもたちを守ることが最優先だ。周りの人につらいから助けてほしいと素直に伝えることにした。
子どもたちにも夫の病状を説明して入院が長引くことを話し、これからは協力してほしいと伝えた。私が夫の病院で帰りが遅くなると、食事やお風呂、寝かしつけなど、長男が下の子の面倒を見てくれるようになった。内気で人見知りの次男は、自分からバスケのコーチに質問ができたと嬉しそうに練習から帰ってきた。自主練メニューも動画を参考にして自分で考えた。夕食の際、急に「パパに会いたい」と泣きだしていた長女は、寂しくなると家族の中でパパの体格に一番似ている長男に抱きつくようになった。長男も嫌がらず受け入れてくれている。優しい兄だ。
夫の入院から2週間、リサーチを重ねた私は整形外科ではなく、脳神経外科の病気ではないかと医者に訴えた。最初は穏やかに話していたが、これだけ検査して原因がわからないのはおかしい、脳神経外科の専門医を紹介してほしいと声を荒げた。夜になり脳神経外科の部長がやってきて診察をすると、危ない状況との診断で直ちに大学病院に転院になった。その時ばかりは、感じのよかった整形外科医を強く憎んだ。もっと早くに対応してくれていれば、もっと強く私も主張すればよかった。後悔先に立たず。今さら悔やんでも仕方がない。
大学病院に転院後、治療が功を奏して翌日には夫の足が少し動くようになった。病名もはっきりした。発症の原因はコロナウィルスの後遺症である可能性が高いらしい。難しい病ではあるが、幸い治療法が確立しているため治癒できるものだった。この時の安堵の気持ちを私は一生忘れないだろう。
夫はみるみるうちに元気になり、2か月後には退院できた。怒涛の3カ月だった。両親はもちろん、学生時代の友人、近所のママ友、会社の上司や同僚、学校の先生、私たち家族は、たくさんの人に助けていただいた。つらい状態にあるときに声を上げる、困ったときに人に助けを求める、「頼る力」はとても大切だ。これまでの自分は、人に頼ることが何か悪いことで恥ずかしいことのように思えて、誰かに助けてもらうことに負い目や抵抗感を覚えていた。たくさんの方々に助けていただき、誰にでも身体や心に限界はあって、困ったときは気兼ねなく誰かを頼れる力が必要だと感じた。誰かに助けてもらった経験があるからこそ、それに感謝して次に誰かを助けられる自分がいるのではないだろうか。
「人」という字は互いに支えあって「人」となる。どこかのドラマで聞いたようなセリフだが本当にその通りだ。何か特別なことをしてあげられなくてもいい。人は存在しているだけで誰かの支えになっている。私の支えは間違いなく夫と子どもたちだ。夫の退院の日、「病める時も 健やかなる時も 富める時も 貧しき時も~」という結婚式での誓いの言葉をなぜだかふと思いだした。