ファッションは自分自身を守る防波堤 私が私らしくあるために

こんな方にお話を伺いました
ジェシー

出産後、社会人経験のない中オンラインアウトソーシングサービス「HELP YOU」でフリーランス活動開始。半年でチームリーダー、その1年半後に正社員登用と異例のスピードでキャリアアップ。カスタマーサクセスの構築やマーケティング、業務改善、業務推進と幅広く活動。現在は株式会社AND SPACEにてマーケティングコンサルタントとして働きながら、業務改善・DX推進など多数のプロジェクトをパラレルキャリアとして参画中。

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他者の視線は気にしない!マイ・スタイルを貫く

ジェシーさんとても個性的なファッションをされていますね?

私にとってファッションとは防波堤のようなものなんです。

これは娘にも良く言い聞かせるのですが「もっと自分だしぃや。あんたの人生やで。」って。私は自分自身のスタイルを大切にしたいし、そのスタイルに共感してくれる人と付き合っていきたい。だから、こういう格好で、こういう人間で、こういうのが嫌いなひとは近寄ってこないでくださいっていうバリアなんです(笑)

見てわかるとおり、奇抜なファッションと派手な髪とメイクなので、電車で両隣がガラ空きなんてこともしょっちゅうです。子どもの前でも自分のスタイルを崩さないので、小学校の保護者会では白い目で見られることもありました。インターネットのコミュニティ掲示板で写真をさらされたことも。でも、全然堪えてないです。

「やったー!みんな私に興味ある~人気者だー!」くらいの心持ちです(笑)

ネイルやアクセサリーなど細かいところも好きなものを

それはなぜですか?

私のファッションやメイクについて、好ましいと思うかたも好ましくないと思うかたも当然いらっしゃると思います。それって人間だから好き嫌いがあって当たり前です。「嫌いだなぁ~・嫌だなぁ~」と感じることは、基本的には自分で避けて通ればいいと思うんですよ。それなのに、わざわざ攻撃してくるのは「興味がある」んだなって。本当は自分も自由奔放なファッションをしてみたいんじゃないの?!って(笑) ポジティブでもネガティブでも人からの「反応」があるのは「関心」をひいている証拠。ある意味では、人気者としてのバロメーターですよね。

親が求める「理想の長女」からの解放 

指輪は友人の手作り 本物のキーボードから作成されている

ファッションに目覚めたのはいつですか?

中学生の頃からですね。ちょうどスナップ系の派手なファッション雑誌が流行り始めて。なにこれかわいいー!と思って。

今考えたらダサいな~って感じなんですけど、端切れを自分で切って縫ったり、古着をデコったり、前髪にヘアピン30本つけたり(笑)子どもだからそんなにお金もかけられないので、出来るだけ低コストで個性的になるように模索して。個性的といいながら雑誌のモデルさんを参考にしているので、誰かの二番煎じどこかろか五番煎じなんですけど(笑)でも、その過程が楽しかったですね。おしゃれな一員になれたって感じで。

興味のきっかけは?

ファッションへの入り口は田舎者が都会に憧れる気持ちですね(笑)「きらきらしててかっこええなぁ」っていう。

ですが、根底には両親への反発があったのだと思います。父親は「何でも俺のいうことをきけー!」という昔気質な頑固親父タイプでしたし、母親は「成績落ちたらお母さんが恥ずかしいやないか!」と子どもを叱る、体裁気にしぃタイプでした。

私が長女なので他の姉妹よりも厳しく躾けられたというのもあるかもしれません。大学は国公立大学に行ってほしい、将来は公務員のような堅実な仕事に就いてほしいという親の願いといいますかプレッシャーを小さいころから一心に背負っていたので、息苦しかったんですよね(笑)

ファッションは「親から求められる私」ではない自分を唯一表現する手段だったのだと思います。「あなたの求めることは全部叶えてあげたんやから、格好くらい好きにさせてやー!」という反発ですね(笑)

ご両親びっくりしませんでしたか?

かなり驚いたと思いますね。それこそ小中学生の頃は、親の目を盗んでやってました。友だちと遊ぶに行く時は、出かけた先のトイレで服を着替えたりして。そのころはボサボサの眉毛を整えるのもだめで、中学三年生の時に「もうええわ!」って親にカミングアウトしたんです。 びっくり仰天な母親に「そぉや、これがわたしなんや」と開き直りました。

それからは、親の前でも堂々と好きな服を着るようになりましたね。もちろん、大学も第一志望の国公立大に受かりました。言われたことはしっかりこなしているぶん、親も文句は言えなかったのでしょうね(笑)

ピアスはadenという友人の海外インポート商品 大ぶりなものが好き

ご両親との関係はその後、改善されましたか?

大学卒業のタイミングで妹たちと一緒に実家を出たんです。というのも、当時父親が手に負えないくらい荒れていて。妹たちの身の安全を確保するためにも距離をとったほうがいいなって。

どうして父親が自分たちを「自分の目の届く範囲」に置きたがったのか。自分のもとから離れていくことが怖いから反対に束縛してしまう、という愛情の裏返しだったのかもしれません。

実家を出ることによって、両親が「自分が変わらなければ本当に娘たちがいなくなってしまう」という焦りと、「物理的に離れていたとしても娘たちが自分を見捨てるわけではない」という実感を得られたと思います。

実家からの「自立」が両親との適切な距離感を保つきっかけになりましたね。

マイノリティではない「私」 自分の居場所は自分で見つける

ファッションのコンセプトは今も昔も「オートクチュールを日常へ」

どんな大学生活を過ごしていましたか?

はじめは実家の奈良から大学のある神戸に通えと親に言われたのですが、どう考えても物理的に無理でした(笑)なので、お友だちの家を泊まり歩いていました。2年生の頃には、大阪市内の居酒屋でほぼ毎日早朝までアルバイトをしていました。

夕方から早朝は居酒屋アルバイトして、始発電車で仮眠をとりながら大学へ通学、構内のサークル棟でシャワーをあびて、日中は講義を受けるか食堂でビールを飲んでいるか、夕方はまた居酒屋のアルバイトに……という生活を繰り返してましたね(笑)

ヒールは足をきれいに見せてくれるので好んで履きます ピンヒールよりチャンキーヒールが好き

大学はジェシーさんにとってどんな場所でしたか?

自分の世界がひとつ開けた感覚でした。地元では、後ろ指をさされるような自分のスタイルも、大学では受け入れてもらえる。それこそ、同じことに関心がある仲間が集まっているので共通言語がありました。学校のように強制的に同じクラスに割り振られることもないので、自分が付き合いたいと思える人と付き合える。世界が広がったと思います。

くわえて、アルバイトで自由に使えるお金も増えたので、大阪のアメ村でよく遊んでいました。人気のアパレル店員さんともよくお喋りしてスナップ写真を撮ってもらったり。そこでは、私は全然「マイノリティ」の側じゃないですよね。同じ価値観をもった人間がいる。自分を偽らなくてもいい場所。居心地の良い場所を自分で見つけて、ひとつふたつと広げていったんです。

シングルマザーは社会的弱者ではない 生き方のひとつ

ヨーロッパ古着のジャケット、イッセイミヤケのメッシュワンピース
重ね履きしたフレアスカートは素材が面白いスペインのデザイナーズ

ジェシーさんはいまの自分に満足していますか?

8割満足。


好きな格好、好きな仕事ができている。かわいい娘、すてきなパートナーもいる。
でも、一番なりたい自分にはまだなれていませんね(笑)

一番なりたい自分とは?

シングルマザーの星になる。

シングルマザー界の「スター」ではあると思うんですけど(笑)「まだまだ自分が光っているだけやなぁ。みんなを照らすところまではイケてないなぁ」って思うんです。

私自身、シングルマザーで苦労した経験たくさんあります。アパレル店員時代はお給料もそんなに良くありませんでした。そのなかで、出産で仕事を休まなくてはいけないのは恐怖ですし、出産後すぐに復帰できる保証もありません。もちろん、子どもの預け先にも困りました。1時間あたりの保育料と労働賃金がトントンなんてことも。正社員で就職をしようにも、「シングルマザー」という肩書きで煙たがれることもありました。

そんな状況でも自分自身で「シングルマザーだから……できないんだ」と言い訳をしてほしくないんです。シングルマザーだから時間がない。お金がない。勉強ができない。しかし、産む選択をしたのは自分です。やるかやらないか、決めるのは結局自分しかいないのです。自分で自分のことを「シングルマザー」という「社会的弱者」ポジションに押し込んで欲しくないんですよ。

シングルマザーは、あくまで生き方の選択肢のひとつ

だから、私は「シングルマザーの星」になって同じように悩むかたの道を照らしてあげられる存在になりたいですね。

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しゃゆーんのアバター しゃゆーん 「NoFrame」編集長

「NoFrame」代表。上海うまれの上野・浅草そだち。日本大学大学院文学研究科中退。リモートワーク歴10年。自分が興味をもったものは即検索・即実行がモットー。通算4000人以上、子どもから大人まで幅広い世代のかたと面談してきました。その結果、スタートアップ・ベンチャー企業の総合的な立ち上げ支援のかたわら、全世代の仕事・育児・教育が融合した新時代のコミュニティ・スペースの設立に奔走中です。

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