現役吉本芸人が挑んだ地方移住 経験を活かし「笑い」にあふれた寺子屋のおっちゃんに

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こんな方にお話を伺いました
ゆでたかの さん

吉本興業所属。現在は「よしもと住みます芸人」として長野県に在住。芸人としてTV・ラジオへの出演しながら、週3日・県内3拠点で「ゆで子屋」を開校。小学生から高校生までの生徒たちに学べる憩いの場を提供している。YouTubeやBSよしもとでも、笑いと学びを融合させた情報を発信中。

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進路に迷いはなく、僕は常にどこか楽観的だった

「芸人になりたい」と思ったきっかけを教えてください。

僕は大阪生まれで、小さい頃から吉本新喜劇を観ていました。小学生の頃、初めてなんばグランド花月(以下、NGK)に行ったとき「漫才って、なんて面白いんだ!」と衝撃を受けました。ずっとゲラゲラ笑い続けるくらいとんでもなく面白かったんです。特定の芸人さんへの憧れではなく、お笑いをしている人全員を「すごい」と思いました。その気持ちはいまも変わりません。

芸人になることを意識したのは、高校3年生の文化祭ですね。友人2人と一緒に漫才をしたときに、舞台に立つ楽しさを感じました。大学の受験勉強をしながらも「大学落ちたらNSCに行こう!」とひそかに決心していました。

ちなみにNSCというのは、吉本興業が設立・運営している新人タレント養成所のことで、芸人が通る道の1つです。第一志望の大学に合格しましたが、バイト代を貯めて、大学3回生のときにNSCにも入学しました。

2つの学校に通う生活は大変ではなかったですか?

めちゃくちゃ大変でしたよ。理系学生の忙しさを見誤っていました(笑)。

ありがたいことに、NSCのほうは大学と両立できるように、出席する授業を前もって予約できるシステムになっていました。それでも大学の授業、NSCの授業で披露するためのネタづくりやネタ合わせ、アルバイトをしていると、いま何をしているのか自分でも分からなくなる。正直、血を吐くんじゃないかと思いました(笑)。

はじめての一人舞台。あの経験がなかったらとっくに芸人を辞めていた

芸人としてのデビューはいつ頃ですか?

大学4回生のときが芸歴1年目でした。とはいえ、1年目はほとんど仕事はなく「地下ライブ」と呼ばれるイベントに出ていました。他の芸人さんと一緒にすし詰め状態で廊下に並び、出番になったら袖から登場して、乗ると揺れるような即席ステージでネタを披露していました。

東京では地下ライブでも結構笑いが起きるらしいんです。でも、大阪のお客さんは普段からお笑いを嗜んでいる方が多く、地下ライブに来てくれるお客さんも漏れなく目が肥えています。だから、笑い声がまったく聞こえない日も多かったですね(笑)。
一時は就職活動もしていたのですが「芸人として生きる道を選んだほうが面白い」と思って、途中でやめました。売れる根拠も、自分が一番面白いという自信もありませんでしたが、「この経験は絶対に無駄にはならない」という確信がありました。

ピン芸人になった経緯は?

NSC在学中から約2年間は、漫才をしていました。途中で相方が芸人を辞めたのですが、それまで漫才のネタしか作ってこなかったので、ピンの笑いが全然わからなくて。「これ」というものがなく、最初は頭を抱えました。

それで、「とにかく思いつくものをやってみて、ダメだったらまた別のものにしよう」と、手当たり次第にいろんなネタを試しました。1人だからこそ、歩きながら浮かんできたネタをメモしておいて試したり、瞬間的な思いつきを実行してみたり、いろいろなジャンルに挑戦できるのは楽しかったですね。

「すべる」ことへの恐怖はなかった?

それが、なかったんです(笑)。すべったら、「あかんかったな。次はどうしよ?」という感じでした。楽観的すぎますか? ただ、僕がすべり続けても芸人でいられたのは、最初にウケた経験があったからだと思います。

芸歴2年目で、NGKの劇場前に立っていた頃の話です。まだ無名でしたが、前説もまかせてもらい、憧れの舞台に初めてのぼりました。そこで驚くほどウケたんです。あのときお客さんが笑ってくれていなかったら、すぐに辞めていたかもしれません。

芸歴4年目の仕事風景

もう1つの夢だった「先生」という仕事も縁あって実現した

NGK前に立っていた頃、NSC時代の同期の紹介で「寺子屋こやや」で子どもたちに勉強を教えていました。笑い飯の哲夫さんが開いた大阪市淀川区にある学習塾です。そこでは、学びたい子どもたちの学習機会を狭めないように、低料金での学習支援を行っています。

実は芸人を目指すまでは、小学校の先生に憧れていたんです。小学5・6年生の頃の担任の先生がすごく優しくて好きだったから。もう1つの理由は、だれかに教えてもらうことで時間を無駄にしないと知っているからです。

僕は高校受験も大学受験も塾には通いませんでした。問題に詰まっても人に聞けないので、1問を解くのに1時間半近く「なんでその答えになるねん」と悩み続けたこともあります。だれかに聞くことができれば、もっと勉強時間を短縮できたはず。そのような経験があるからこそ、子どもたちが勉強で悩むポイントや気持ちがわかるんです。

20代後半、大阪とベトナムの二拠点生活を送った

その後、舞台の仕事がままならなかったタイミングで、アルバイト先にいたベトナムからの留学生に、「クビになって暇なら、ベトナムに一緒に行こうよ」と声をかけられたんです。クビになってはいなかったけれど(笑)、面白そうな予感がしたので次の日にはパスポートを取得して、約1週間後にはベトナムにいました。

ベトナムで行くきっかけになった友人と、ベトナム南部で撮影

ベトナムではどのように過ごしていたのですか?

到着後すぐ、彼がベトナムで働く会社に同行したら「働きなよ!ビジネスビザ取ってあげるよ!」と声をかけられて「やるやる!」と即答しました。ベトナムの方が話す日本語を伝わりやすい言い回しに変えたり、日本からのメールを簡単な文章に直したり、日日翻訳を担当させてもらいました。他には、日本語学校の講師、日本からベトナムに来た方のアテンドなどもしましたね。

ただ、吉本興業所属の芸人でいるためには、定期的に必ず受講しなければならない研修があったので、ベトナムで3ヶ月働き、日本に帰って研修を受けて、またベトナムで3ヶ月働くという生活を繰り返していました。研修を受けられなければ契約が切れてしまうので、毎回賭けに出ているようなものでしたが、運良くすべて受講できたんです。

2年が経って、現地で日本人として教えることがこれ以上ないという状態になったので、帰国しました。ベトナムに誘ってくれた彼とは今でも交流が続いていて、現在もときどき日日翻訳を行っています。

知り合いのいない土地で、はじめは孤独だった

「よしもと住みます芸人」として長野県に移り住んだきっかけは?

よしもと住みます芸人」という企画自体は以前から気になっていました。国外移住する「アジア住みます芸人」という企画もあるんです。どの地域の募集がいつあるかは決まっていないのですが「国内なら長野県、国外ならもう一度ベトナムに行きたい」と思っていました。

長野県には地縁こそないものの、弟がスキーをするためによく訪れていて。「人があたたかい」「ご飯が美味しい」という話を何度も聞くうちに、いつかは住んでみたい場所になっていました。

そうしたら、ベトナムから帰国するタイミングで、たまたま長野県の募集があったので、オーディションに参加して「行きたいです!」ととにかく伝えました。意外にも結果は合格で、2019年11月からさっそく長野県に住ませてもらえることになったんです。

移住後の活動を教えてください。

移住する直前の10月に、大雨の影響で千曲川の堤防が決壊しており、当然ながら「住みます芸人」どころではありませんでした。移住したものの仕事がなく、知り合いも友人もいなかったので、1日中だれとも話さない日が続きました。

「このまま独りで喋らないでいるのはまずい」と思い、せめて自分の声を残しておこうとYouTubeを始めました。宣伝もせず、ただただ話していたのですが、今でも「1日に1つ聴いてるよ」と声をかけてもらうことがあります。

しばらく経ってから、寺子屋を開きました。実は、笑い飯の哲夫さんにも「こややの真似事していいですか?」と聞いて、住みます芸人のオーディションでもそう伝えていたんです。

寺子屋以外には、割烹の手伝いをさせてもらったり、ドッグカフェで働かせてもらったりしました。いまもときどき手伝っています。ドッグカフェでは受注生産の革製品へのレーザー刻印も担当しています。まったくの未経験でしたが、オーナーに「手先が器用だから、やってみて」と言われるがままやってみたら、結構向いていました(笑)。

大阪やベトナムにいた頃と同じく、いろいろなお仕事をしているんですね。

そうですね。長野県のみなさんが「困っているようだから」と手を伸ばしてくれるんです。長野県へ来たばかりの頃「全然仕事がないんです」と話していたら、「時間があるなら手伝いに来てよ」と、先ほどお話しした割烹やドッグカフェに誘ってもらいました。人の優しさを感じることが数多くあります。僕が開いている寺子屋スタイルの学び場「ゆで子屋」についても、「上のテナントが空いてるから、そこでしていいよ」と言ってもらって、「ぜひお願いします!」と始めました(笑)。

週3日「ゆで子屋」で子どもたちに学びと笑いを教えている

塾はどのくらいの頻度で開いているのですか?

「ゆで子屋」では、学校の勉強をサポートするかたちで、わからないところを教えたり、テスト前には解き方を一緒に考えたりしています。最初は週1日だけでしたが、嬉しいことに「こちらの地域でも開いてほしい」と声をかけてもらって、現在は毎週火・水・木曜日の3日間、開いています。来てくれる子どもたちの学年は、小学校高学年から高校1年生までと幅広いですね。

今春までは受験生が10人いたんです。正直かなり大変でしたが、全員が合格してほっとしています。その代わり、受験期は芸人としてはボロボロでしたね。食レポに受験で使うような小難しい言葉ばかり使っていて、面白いことを言えなかった。僕も完全に受験脳になっていましたね(笑)。

ゆで子屋の看板

僕の一番の目標は「勉強を楽しいと思ってもらうこと」なので、まずは子どもたちが勉強する場自体を楽しいと思えるように意識しています。具体的には、勉強だけではなく、話を聞く、みんなで話す、天気がよければ外で思いっきり遊ぶ時間を大切にしています。だから、その名のとおり塾というより寺子屋という表現がしっくりきます。叶うならば、僕のことは学校の先生でも塾の先生でもなく、おせっかいなおっちゃんのように思ってほしいですね。

最近は子どもたちもかなり打ち解けてくれて、会話にボケ・ツッコミのリズムまで生まれてきました(笑)。以前テレビでゆで子屋の様子が放送されたとき、視聴した親御さんが「あの子にはあんな一面があったんだね!」と、とても驚いていました。学校や家庭での様子とはまた違っていたようです。ゆで子屋では積極的にしゃべってくれる子、テストの結果を自分からどんどん見せてくれる子など、家庭や学校とは違った一面をみせる子どもたちがいます。

大阪在住の頃に手に入れた、早押しボタン

子どもたちとの関係性を築くために取り入れたものは、ボードゲームや早押しクイズです。この早押しボタン、楽しいんですよ。大阪のボードゲームカフェで一度遊んだときに楽しすぎて買ったのですが「せっかくだからボタンが使えることがしたい」と思って、ゆで子屋では自作の謎解きやクイズを出題しています。

問題よりも早押しボタンが先だったんですね(笑)

そうなんです(笑)。コミュニケーションの1つとして皆でゲームを楽しんでいたら、だんだんと距離が縮まって、さらには子どもたちの成績が上がったんです。ゲームが勉強の考え方のトレーニングにもなったのは嬉しい誤算でした。

芸人「ゆでたかの」として、持てる知識・経験すべてを伝えていきたい

今後は芸人とゆで子屋、どちらも続けていくのでしょうか?

どちらも続けていきたいですね。芸人としてはラジオのレギュラーが決まったほか、ケーブルテレビの番組に定期的に出演しています。1芸人として生計が立てられる状態は継続していきたいですね。

BSよしもとの「Cheeky’s a Go Go!」という番組では、学びに笑いを掛け合わせた情報発信を行っています。過去にはYouTubeで授業形式の動画を配信していたのですが、「学び×笑い」の提供はこれからも続けていきたいことの1つです。

左:ロケの一コマ、 右:長野県住みます芸人として登壇した講演会

ゆで子屋に関しては、新たに他の地域でも開けないかと構想を練っているところです。長野県内の塾の数は大阪に比べると少なく、2つ離れた校区にしか塾がない地域もあります。勉強のためだけに時間をかけて塾に行くのは大変なので、いずれは「ゆで子屋に来たら、勉強したあといつまでもそこに居ていい」「用事がないときでも立ち寄っていい」、そのような場所を作れたらと思っています。

新しいことを始めるとき、不安や心配が頭に浮かんできませんか?

「できないかもしれない」とためらうことはほとんどありません。ベトナムに行ったときも、住みます芸人に応募したときも、寺子屋を始めるときも「楽しそう、やりたい!」ばかり考えていました。

それらが今、経験値になっています。ゆで子屋も、はじめは哲夫さんの「寺子屋こやや」から派生した空間でしたが、だんだんと僕なりの寺子屋に変化してきました。

これまでの人生でつまづいたことも、思いもよらない方向に進んでいったことも数多くあります。そのような過去を経て、いま長野県での生活をおう歌させてもらっています。今度は僕が大人として、受け取った優しさを次世代にかえしていきたい。

学校でも塾でもない、ゆで子屋に来てくれている子どもたちの「学ぶことが好き」という気持ちを育むためにも、僕の経験値をすべて持ち出して、笑いながら楽しく学べる場を提供していきたいと思っています。

参考サイト

よしもと住みます芸人47web 全国版|吉本興業株式会社
アジア住みます芸人|吉本興業株式会社
Cheeky’s a Go Go! | BSよしもと

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もえこのアバター もえこ 在宅ワーキングマザー

兵庫県在住。小学生2人を育てながら、現在ほぼフルタイムで在宅ワーク中。趣味は推し活と読書。

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