喫茶店を開くことは、ずっと前からの夢だった
お店を開きたいと思っていたのは、いつから?
「いつかお店を開きたい」とはずっと思っていて、そのことを夫に宣言もしていました。少し大人な雰囲気のある、奈良ホテルや、昭和に建てられたホテルのロビーや喫茶店が好きだったんです。
いまの場所と出会ったきっかけは?
マザーミーツは、兵庫県神戸市の古民家で開店しました。長い間ここには「FARMHOUSE CAFE」というカフェがあって、私もそのカフェのファンでした。
通っていた大学が近かったのですが、駅の北側にひっそりとあるため、初めて訪れたのは4年生になってからでした。そこで、白を基調とした素敵な空間とオーナーに惹かれて、よく訪れるようになって、就職活動中にもお店の窓側の席で座って考えることが度々ありました。
就職してからも、いまお店がある場所の近くで暮らしながら「休日には何か好きなことをしよう」とカフェへ訪れる生活を送っていました。私にとって、カフェや喫茶店はスイッチの切り替えができる場所なのだと思います。
結婚して住む場所が少し離れてからも、定期的に訪れてはカフェのオーナーへ近況報告をしに来るなど、この場所に何度も戻ってきていました。
その後、どのようなタイミングで「喫茶店」を開くことになったのですか?
あるとき、オーナーから電話で打診があったんです。「地方へ移住するから、ここで出店する?もしお店をするなら、大家さんを紹介するよ」と。大好きなカフェがあったこの場所を無くしたくないという思いも強くあり、ありがたく提案を受けることにしました。開店は突然決まりましたが、実はそれまでにこっそりと開店資金を貯めていたんです(笑)
神戸岡本へ戻ってお店をオープンするまでには1年間の空白があったので、東京で働きながら学ぶ期間にしました。学校に通って学ぶのではなく、お金をもらいながら勉強できるほうがいいと思ったんです。運よく子どもを保育園で預けることもでき、喫茶店でアルバイトをしました。
東京から神戸岡本へ戻ってからの開店準備はどうなりましたか。
怒涛の準備でしたね。夫にはまだ東京で仕事があったので、子どもを連れて、母一人子一人で先に岡本へ戻り、そこからお店の改装などを行なって、1ヶ月でお店をオープンしました。
古着店は受け継いだもの。思いもよらない服と人との出会いを見たい
喫茶店と並行して、古着店をしようと思ったのはなぜでしょうか?
はじめから古着に詳しくて、お店で販売しようと思っていたわけではないんです。
開店前、私が東京から戻るまでの間に、お店を開くことができない期間がありました。でも、ただ閉めておくのは勿体ないと考えていたときに、知り合いの方が「古着や古道具を扱っている子たちがいるよ」と教えてくれて、連絡までとってくれたんです。
短い期間しか開けないし断られるだろうと思っていたのですが、彼らは「いいですよ!」と快諾して、お店で古道具や古着を販売してくれました。まさか、わざわざ離れたお店から来て出店してもらえるとは思ってもみなかったので、驚きと嬉しさがとてもありました。それに、素敵な古着や古道具がお店に並ぶ姿を見て「いいな」と感じていました。
だから喫茶店を開いてからも、古着屋という形を残して、現在は私が販売を続けています。アパレル業の経験があったわけではないので、古着に関しては手探りですよ。本当に難しい(笑)
古着を販売する上で、大切にしていることは何でしょうか?
アパレル業は未経験だから、日々勉強をしながら取り組んでいます。でも、専門的な知識よりも、「どうして選んだか」というストーリーを伝えながら、お客さまに手渡したいんです。
ここでは、ウンチク抜きで色んな服と出会ってほしい。そして、古着を好きになるきっかけにもなりたい。袖を通した人が、「これをどこで見つけてきたの?」なんて話を、お母さん世代やおばあちゃん世代の人とできたらいいなと思っています。
喫茶店と古着の販売をいまは一人で両立しています。いつかは人にも任せたいとも思うのですが、綺麗な状態のものを渡したいと思うと、全てに自分で目を通して、梱包して、という流れがいまはまだ欠かせません。
朝はいつも洗濯から始まります。古着を自宅へ持ち帰って、それを全て洗って干し、そのあとお昼頃から喫茶店を開くのが私のルーティーンです。
自分に満足することはない。それでいいと今は思える
コロナ禍で変えたこと、変わったことはありますか?
実は、売上には以前とあまり変化がないんです。お店がある駅の北側は民家が多い静かな場所で、さらには古民家に入るまでに階段があって中まで入らないとどのようなお店かが見えづらくなっています。それで、迷い込んでお店の雰囲気が気に入ってくださる方や、以前のお店を知っていて通ってくださる方、それからこういったカフェや古着が好きな方がお越しになります。混み合うところではないからこそ、緊急事態宣言が明けてからは、以前のように訪れてくださる方がいます。
変えたのは、2階に喫茶室を拡張したことですね。それまでは1階に古着兼喫茶のスペースだったので、予約制でコロナ禍でもゆっくりと過ごしてもらえるように、休校中だった子どもと一緒に部屋を改装していきました。
もとの白壁の内装も好きでしたが、1階のお店と同じく私の好きな喫茶店の雰囲気に変化させました。でも、飲み物をこぼしたときにサッと拭けるようにもしたいから「絨毯はやめて、取り外して洗えるものにしよう」と妥協と理想にうんうん悩みながらの改装でした(笑)
最近は「シェアサロン」も運営されていると聞きました。
そうなんです。2021年7月から「HALE」という名前で、2階の1部屋を曜日別で貸し出しています。
お店でいろいろと取り組んでいる様子を見て、周りからは「すごく頑張ってるね!」とよく言われるんですが、自分に満足することはなくて(笑)「まだまだだ」と返すことが多かったし、本当にそう思っていました。
でも、お店を続けて5年が経った頃に、初めて自分で自分を褒めたんです。だからといって、満足はしない。私にはそのほうが合っているのかもしれません。喫茶店を開いてからもうすぐ6年ですが、いまは10年目に向けて「これからどう変わっていこうか」と考えています。
自分の力はなく、場所の力があると日々感じている
今後どのようにお店を営んでいきたいですか?
8月には、お声をかけていただいた縁で、東京のイベントへ出店する機会がありました。最初は悩んだのですが、夫の「どうしてやらないの?絶対にやったほうが良い」という後押しでチャレンジしました。
出店にあわせて、東京で好みの古着ショールームを開拓することもできましたし、なにより東京へ出向いたことで、あらためて「いまの場所が良いんだ」と方向性が明らかになりました。
東京のお店に合うように選んだ古着が並んでいる様子も素敵だったのでしたが、やっぱりマザーミーツに並ぶほうがしっくりくると実感したんです。行かなければハッキリとわからないことだったので、思い切って行ってみて良かったです。それもあって、いまは「迷ったらやる」と決めています。
以前通い詰めた場所でお店を開き続けてきて、あらためて何か感じたことはありますか?
ここまで続いてきたのは私の力ではなくて、前オーナーの偉大さと、この場所の力が大きいと感じています。
例えば、昔この家に住んでいたという人が立ち寄られたり、部屋が空くと誰かが訪れたり。そうやって続いてきたので、ここには妖精がいるのかもしませんね(笑)
また、お店がある阪急岡本駅の北側周辺のあたりを「裏岡本」と呼んでいるのですが、開店当初から長く続いているお店が多いんです。コロナ禍になってからは集まれていませんが、ときどきお互いのお店に立ち寄って「最近どうですか?」とお喋りしています。
皆さん一人ひとりがお店を営んでいるけれど、一人ぼっちではない。お店のある「裏岡本」という場所自体も、ご縁が続いていく場所だと感じています。